大阪高等裁判所 平成4年(ネ)694号 判決 1996年10月29日
控訴人
塩田静夫
外一二七名
同
全国税関労働組合神戸支部
右代表者支部長
横川泰三
右一二九名訴訟代理人弁護士
小牧英夫
同
前田修
同
前哲夫
同
古殿宣敬
被控訴人
国
右代表者法務大臣
長尾立子
右指定代理人
山垣清正外一〇名
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 原判決中控訴人らに関する部分を取り消す。
2 被控訴人は、
(一) 控訴人全国税関労働組合神戸支部に対し、金五五〇万円及びこれに対する昭和四九年六月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員、
(二) その余の控訴人らに対し、別紙損害額一覧表中の各控訴人に対応する債権総額欄記載の各金員及びこれに対する昭和四九年六月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を各支払え。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
4 仮執行の宣言
二 被控訴人
1 主文同旨
2 担保を条件とする仮執行免脱宣言
第二 事案の概要
本件は、個人の各控訴人が、自己(ただし、訴訟承継をした各控訴人についてはその被承継人)が神戸税関の職員であった昭和三八年四月一日から昭和四九年三月三一日までの間(この期間を以下「本件係争期間」又は「係争期間」という。)に、神戸税関長から、控訴人全国税関労働組合神戸支部(以下「控訴人組合」という。)の組合員であることを理由として、昇任、昇格、昇給につき不当な差別扱いを受け、これにより経済的、精神的損害を被ったとして、国家賠償法一条一項に基づき、本件係争期間中に生じた右損害の賠償を求め、また、控訴人組合が、その組合員(本件控訴をしなかった者も含む。)が右のような不当な差別扱いを受けたため、控訴人組合の団結権等を侵害され、これにより無形の(非財産的)損害を被ったとして、国家賠償法一条一項に基づき、右損害の賠償を求めた事案である。
第三 当事者の主張
当事者の主張は、次のとおり(頁数は原判決の頁数を示す。)訂正、付加、削除するほか、原判決事実第二 当事者の主張(原判決二七頁六行目から同一八七頁九行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
1 二七頁七行目から二八頁九行目までを次のとおり改める。
「1 当事者等
(一) 税関は、大蔵省の地方機関で、輸出入通関業務、関税の徴収、外国旅行者の携帯品の検査等の業務を行っており、函館税関、東京税関、横浜税関、名古屋税関、大阪税関、神戸税関、門司税関、長崎税関及び沖縄地区税関がある。神戸税関は、兵庫県(ただし、伊丹市を除く。)、広島県、岡山県、鳥取県、島根県、香川県、徳島県、愛媛県及び高知県を管轄している。税関は、明治五年一一月二八日に発足し、昭和一八年一一月に第二次世界大戦の激化により一時閉鎖されたが、昭和二一年六月に再開された。
国家公務員である神戸税関長は、神戸税関の職員に対し、任命権者として、昇任、昇格、昇給等を行う権限を有している。
(二) 控訴人組合は、沖縄を除く全国の税関に勤務する職員を対象として組織されている全国税関労働組合(以下「全税関」という。)の下部組織であり、神戸税関に勤務する職員の一部で構成されている。
その余の控訴人ら(ただし、控訴人服部瑠璃子、同坂本和子及び同小松利子を除く。)、服部正治、坂本檀、小松正諦(以上一二八名を以下「控訴人組合員等」という。)、稲松斉、橋爪武司、山崎吉彦、横江威、桶谷孝史、牛込尹人、延藤寿成、真下陳夫、大西宏之、高橋亘、三野正博、村田安弘及び山之内輝雄(以上の一四一名を以下「第一審原告組合員等」という。)は、本件係争期間中神戸税関に勤務していた職員であり、その入関年月日及び資格(入関当時)等は別紙入関年月日及び資格等一覧表記載のとおりである。
(三) 第一審原告組合員等は、本件係争期間中、控訴人組合に所属する組合員であった。
(四) 服部正治は昭和六三年三月二八日死亡したため、その妻である控訴人服部瑠璃子が服部正治の被控訴人に対する本訴請求債権を相続取得し、坂本檀は平成三年八月三日死亡したため、その妻である控訴人坂本和子が坂本檀の被控訴人に対する本訴請求債権を相続取得し、小松正諦は同年一一月二一日死亡したため、その妻である控訴人小松利子が小松正諦の被控訴人に対する本訴請求債権を相続取得した。」
2 三五頁七行目の「原告服部正治」を「服部正治」と改める。
3 三六頁九行目の「以下「原告大塚」という」を「以下「原告大塚」ともいう」と、同頁末行の「以下「江田」という」を「以下「江田」ともいう」と三七頁一行目の「持ち込ちこもう」を「持ち込もう」と、三八頁一行目の「これにより」を「これより」とそれぞれ改める。
4 五五頁一行目から二行目にかけての「非組合員(原告組合員以外の職員、以下同じ)」を「控訴人組合の組合員以外の職員」と改める。
5 六二頁七行目の「言うこと」を「言うことは」と、六六頁四行目の「在勤しいた」を「在勤していた」と、六七頁九行目の「常務船」を「乗務船」とそれぞれ改める。
6 六九頁一一行目の「山岡荘太郎」を「山岡荘太朗」と改める。
7 七二頁七行目の「林」を「控訴人林弘司」と、同頁一〇行目の「すんだが、同時に同原告の」を「すんだ。しかし、当局は、同時に、控訴人天野親聡に対してしていた」とそれぞれ改める。
8 七五頁六行目の「関税局」を「大蔵省関税局(以下「関税局」ともいう。)」と改める。
9 八七頁末行の「東京関税局」を「東京税関当局」と改め、同行の「排除す」の次に「る」を加える。
10 九七頁三行目から四行目にかけての「甲第三一九号証の一の一ないし四の一」を「甲第三一九号証の一ないし五の各一」と改める。
11 九九頁一行目の「関税当局」を「関税局」と、二行目の「本訴請求期間」を「本件係争期間」とそれぞれ改める。
12 一〇四頁五行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「(一) 給与制度のしくみ
(1) 給与
税関職員の給与は、一般職の職員の給与等に関する法律(本件係争期間については、昭和六〇年法律第九七号による改正前の同法、改正前の同法を以下「給与法」という。)に基づいて支給される。右給与は、俸給と扶養手当、調整手当、住居手当、通勤手当、超過勤務手当、期末手当、勤勉手当、休日給及び夜勤手当等の各種手当からなる。俸給は、他の手当の算定の基本となる。ただし、扶養手当、住居手当及び通勤手当は、俸給とは関係なく一定額が支給される。
(2) 俸給
第一審原告組合員等の俸給は、給与法六条一項一号行政職俸給表別表第一イ行政職俸給表(一)(以下「俸給表」という。)に基づいて決定される。俸給表は、等級(前記改正後は級)と呼ばれる段階部分と各等級ごとに号俸と呼ばれる金額区分からなっている。
給与法六条三項は、職員の職務は、その複雑、困難及び責任の度に基づきこれを俸給表に定める職務の等級に分類するものとし、その分類の基準となるべき標準的な職務の内容は人事院が定める旨規定し、これを受けて人事院規則九―八(初任給、昇格、昇給等の基準)三条が右分類の基準となるべき標準的な職務の内容を定めている(第一審原告組合員等について適用されるのは、右規則別表第一イ行政職俸給表(一)等級別標準職務表である。)。なお、人事院は、各等級に定数を設けることができ(給与法八条一項、この定数を以下「等級別定数」という。)、等級別定数は、組織ごとに、かつ、一般会計及び各特別会計ごとに、職名別に、指令で定める(右規則四条一項)。
右規則五条、六条は、等級別資格基準表に基づき、職員の職務の等級を決定する場合に必要な資格の基準(試験、学歴、免許、一等級下位の職務の等級における在級年数及び必要経験年数)を定めている。
(3) 俸給を基本とする諸手当の決定
① 調整手当(暫定手当)
調停手当(昭和四二年七月までは暫定手当と呼ばれた。)の性格は地域給である。昭和四二年七月までは、各俸給表の各等級号俸別に定められた定額に一定の支給率を乗じて算出され、同年八月からは、俸給、俸給の特別調整額及び扶養手当の月額の合計額に一定の割合を乗じて算出される。
② 超過勤務手当
超過勤務手当は、正規の勤務時間を超えて勤務した全時間に対して、勤務一時間につき勤務一時間当たりの給与額の一〇〇分の一二五が支給される(給与法一六条)。勤務一時間当たりの給与額は、俸給の月額及びこれに対する調整手当の月額の合計額に一二を乗じ、その額を一週間の勤務時間に五二を乗じたもので除して算出する(給与法一九条)。一週間の勤務時間は四四時間と定められている〔給与法一四条、人事院規則一五―一(職員の勤務時間等の基準)四条〕。
③ 期末手当
期末手当は、三月、六月及び一二月に支給され、その額は、俸給及び扶養手当の月額並びにこれらに対する調整手当の月額の合計額に一定の割合(その割合は年により改定される。)を乗じ、更に在職期間の区分に応じて定められた割合(通常は一〇〇分の一〇〇)を乗じて算出される。
④ 勤勉手当
勤勉手当は、六月及び一二月に支給され、その額は、俸給及びこれに対する調整手当の月額の合計額に期間率及び成績率(その割合は年により改定される。)を乗じて算出される。」
13 一〇四頁六行目の「(一)」を「(二)」と改める。
14 一〇七頁七行目の「運用通知」の次に「、以下の記述においては、昇任を右③の意味で使用する。」を加える。
15 一一二頁一二行目の「(二)」を「(三)」と改める。
16 一一五頁一行目の「昭和三八年」から同頁四行目の「同石見」までを「本件係争期間中に第一審原告組合員等のうち四三名が主任等に昇任しているが、そのうち昭和四五年までに昇任したのは稲松斉と控訴人石見宜夫」と改める。
17 一一五頁一二行目の「原告ら」を「第一審原告組合員等」と、同頁末行から一一六頁一行目の「非組合員」を「控訴人組合に加入していない職員(本件係争期間終了前に控訴人組合を脱退した者を含み、本件係争期間終了後に控訴人組合を脱退した者を含まない。以下「非組合員」という。)」と、同頁一行目から二行目にかけての「原告ら」を「第一審原告組合員等」と、同頁二行目の「後記」を「本件」と、同頁三行目から四行目にかけて及び同頁八行目の各「原告ら」をいずれも「第一審原告組合員等」とそれぞれ改める。
18 一一七頁五行目の「原告ら」を「第一審原告組合員等」と改める。
19 一一八頁四行目から五行目にかけての「このように」の次に「昇格する場合」を加え、同頁五行目、同頁六行目、同頁七行目及び同頁八行目の各「双子俸」をいずれも「双子号俸」と、同頁九行目から一〇行目にかけての「実質的昇給延伸を受けた」を「実質的に昇給延伸を受けたのと同じ」とそれぞれ改める。
20 一一八頁一一行目の「原告ら」を「第一審原告組合員等」と、同頁同行目及び同頁一二行目の各「双子俸」をいずれも「双子号俸」とそれぞれ改める。
21 原判決別表二昇給・昇格等一覧表の昭和二五年高校組中の「石見宣夫」を「石見宜夫」と、同表の昭和二六年六級組中の服部正治(一四番)の昇格欄の「三等級」を「五等級」と、同表の昭和三八年初級組の「河合建治」を「河合健治」とそれぞれ改める(右各訂正後の同表を以下「本件昇給・昇格等一覧表」という。)。
22 一一九頁二行目から一二〇頁四行目までを次のとおり改める。
「ア 第一審原告組合員等の本件係争期間の開始時(昭和三八年四月一日)と終了時(昭和四九年三月三一日)における等級号俸並びに本件係争期間中の特別昇給の回数と年度、昇任の年度とその職名及び昇格の年度は、本件昇給・昇格等一覧表記載のとおりである。
イ 第一審原告組合員等と入関年度及び資格を同じくする非組合員標準者の本件係争期間の開始時と終了時における等級号俸並びに本件係争期間中の特別昇給の回数と年度及び昇任、昇格の年度は、本件昇給・昇格等一覧表記載のとおりである。
ウ 控訴人らは、非組合員のほぼ全員につき、本件係争期間の開始時と終了時における等級号俸並びに本件係争期間中の特別昇給の回数と年度及び昇任、昇格の年度を追跡調査し、その実態を把握した上、第一審原告組合員等各自と入関年度及び資格を同じくする非組合員のグループごとに、その中で控えめに見ても標準的な取扱いと評価できる等級号俸、特別昇給の回数と年度及び昇任、昇格の年度を設定して、非組合員標準者としたものである。
エ 第一審原告組合員等とそれに対応する非組合員標準者との本件係争期間の開始時と終了時における等級号俸並びに本件係争期間中の特別昇給の回数と年度及び昇任、昇格の年度を比較すると、神戸税関長が、本件係争期間中に、昇任、昇格、特別昇給等において、第一審原告組合員等を差別して不利益に取り扱い、その結果、本件係争期間の終了時には、第一審原告組合員等とそれに対応する非組合員標準者との間で格差が生ずるに至っていることが明らかである。
オ その上、第一審原告組合員等のうちの多くの者は、本件係争期間終了時において、入関年度及び資格を同じくする非組合員のうちの最も等級号俸の低い職員と比較しても、低位の格付けを受けている。また、本件係争期間経過後、第一審原告組合員等と非組合員との間の昇任、昇格等における格差は一層拡大した。これらのことからしても、第一審原告組合員等が、本件係争期間中、昇任、昇格、特別昇給等において差別的な不利益扱いを受けた結果、非組合員との間に格差が生じたことは明らかである。」
23 一二〇頁六行目の「原告ら」を「第一審原告組合員等」と、同頁一一行目の「原告ら」を「控訴人組合員等」とそれぞれ改める。
24 一二一頁二行目の「原告ら」を「控訴人組合員等」と改め、同頁四行目の「このうち」の次に「本件係争期間である」を加え、同頁五行目の「(これを「係争期間」という。)」を削除する。
25 一二一頁九行目の「原告ら」を「第一審原告組合員等」と、同頁一〇行目から一一行目にかけての「別表三等級号俸推移一覧表」を「別表三等級号俸推移表」とそれぞれ改める。
26 原判決別表三等級号俸推移表中、
(一) 二枚目の三番目の表の「石見宣夫」を「石見宜夫」と改める。
(二) 三枚目の二番目の表の年月欄の「47.7」に対応する標準者欄の「6-12」を「5-9」と改め、右年月欄の次に「48.1」の年月欄を加え、これに対応する原告欄に「6-9」を加え、年月欄の「48.7」に対応する原告欄の「6-9」を削除する。
(三) 四枚目の四番目の表の年月欄の「47.6」を「47.7」と改め、年月欄の「46.6」に対応する原告欄の「6-10」を削除し、年月欄の「46.7」に対応する原告欄に「6-10」を加える。
(四) 五枚目の五番目の表の「(23番)坂本柏」の次の「・(24番)杉原光三郎・(28番)山岡荘太郎」を削除し、同表の次に別紙等級号俸推移追加表を加える。
(五) 六枚目の二番目の表の年月欄の「49.1」に対応する原告欄の「5-11」を「5-10」と、三番目の表の年月欄の「39.7」に対応する標準者欄の「7-5」を「6-5」と、年月欄の「39.10」に対応する標準者欄の「6-5」を「6-6」とそれぞれ改める。
(六) 七枚目の五番目の表の年月欄の「48.1」を「48.7」と改める。
(七) 八枚目の一番目の表の年月欄の「40.7」に対応する標準者欄の「7-6」を「6-6」と改め、四番目の表の年月欄の「40.4」に対応する原告欄の「7-7」を削除し、年月欄の「40.7」に対応する原告欄に「7-8」を加える。
(八) 一〇枚目の二番目の表の年月欄の「40.4」に対応する原告欄の「7-7」を削除し、年月欄の「40.7」に対応する原告欄に「7-7」を加える。
(九) 一三枚目の一番目の表の年月欄の「41.4」を「41.1」と改める。
(一〇) 一五枚目の二番目の表の年月欄の「46.7」を「46.4」と改め、三番目の表の年月欄の「48.7」に対応する原告欄に「6-6」を加え、四番目の表の「松岡竜二」を「松岡龍二」と改める。
(一一) 一六枚目の三番目の表の年月欄の「47.10」の次に「48.7」を加える。
(一二) 一七枚目の一番目の表の年月欄の「47.4」に対応する原告欄の「7-7」を削除し、年月欄の「47.7」に対応する原告欄の「6-4」を「7-7」と改め、年月欄の「48.4」に対応する標準者欄の「6-7」を削除し、これに対応する原告欄の「6-5」を「6-4」と改め、右年月欄の次に「48.7」の年月欄を加え、これに対応する標準者欄に「6-7」を、原告欄に「6-5」をそれぞれ加え、二番目の表の年月欄の「47.10」に対応する標準者欄の「6-8」を「7-8」と改める。
(一三) 一八枚目の一番目の表の年月欄の「46.10」の次に「47.4」の年月欄を加え、これに対応する標準者欄に「6-4」を加える。
(一四) 一九枚目の一番目の表の年月欄の「47.7」を「47.10」と改め、三番目の表の年月欄の「47.4」に対応する原告欄の「7-7」を削除し、年月欄の「47.7」に対応する原告欄の「6-4」を「7-7」と改め、年月欄の「47.7」の次に「48.4」の年月欄を加え、これに対応する原告欄に「6-4」を加える。
(原判決別表三等級号俸推移表に以上の訂正、付加、削除をした表を以下「本件等級号俸推移表」という。)
27 一二二頁二行目、同頁五行目及び同頁五行目から六行目にかけての各「原告ら」をいずれも「控訴人組合員等」と、同頁七行目の「別表一損害額一覧表」を「別紙損害額一覧表(以下「本件損害額一覧表」という。)中損失賃金相当額欄」とそれぞれ改める。
28 一二二頁一〇行目及び一二行目の各「原告ら」をいずれも「控訴人組合員等」と改め、同頁末行の「人格権を侵害された。」の次に「その上、控訴人組合員等は、神戸税関長から、控訴人組合に所属していることを主たる理由として昇任、昇格、昇給において差別されたことにより、団結権を不当に侵害された。」を加え、同行の「原告ら」を「控訴人組合員等」と、一二三頁一行目の「別表一損害額一覧表」を「本件損害額一覧表」とそれぞれ改める。
29 一二四頁三行目の「別表一損害額一覧表」を「本件損害額一覧表」と改める。
30 一二四頁一一行目から同一二五頁五行目までを次のとおり改める。
「同(一)、(二)の事実は認める。(三)の事実は知らない。(四)の事実は認める。」
31 一二六頁末行の「七日」を「三〇日」と改める。
32 一三〇頁一〇行目の「以下「高島」という」を「以下「高島」ともいう」と改める。
33 一三三頁一行目の「ないといして」を「ないとして」と改める。
34 一三三頁一〇行目の「一四―一〇」を「一四―〇」と改める。
35 一三八頁一〇行目の「原告ら」を「第一審原告組合員等」と改める。
36 一三九頁六行目、同頁七行目、同頁九行目及び一四〇頁二行目の各「原告ら」をいずれも「第一審原告組合員等」と改める。
37 一五二頁七行目の「坂木伯」を「坂本柏」と、一五三頁四行目の「原課長」を「原係長」と、一五四頁三行目から四行目にかけての「税関鑑査官」を「関税鑑査官」とそれぞれ改める。
38 一五五頁末行の「山岡荘太郎」を「山岡荘太朗」と改める。
39 一六一頁二行目の「(八)」を「(ハ)」と、同頁三行目から四行目にかけての「甲第三一五号証の二の一ないし六の一」を「甲第三一五号証の二ないし六の各一」とそれぞれ改める。
40 一六三頁二行目を次のとおり改める。
「(一) 同(一)の事実は認める。
(二) 同(二)(2)について」
41 一六三頁四行目の「国法上」を「国公法上」と改め、同頁五行目から六行目にかけての「実施されていないこと、」の次に「昇任の定義が控訴人らの主張のとおりであること、」を加える。
42 一六四頁八行目の「昇格」を「昇任」と、同頁一一行目から一二行目にかけての「二三条」を「三三条」とそれぞれ改める。
43 一六六頁一二行目を次のとおり改める。
「(三) 同(三)について」
44 一六七頁二行目の「原告ら」から同頁六行目の「格差の存在」までを「同(2)アの事実は認めるが、イの事実は知らない。なお、被控訴人が右イの事実」と、同頁八行目の「非原告職員」を「非組合員」とそれぞれ改める。
45 一六七頁末行の「原告ら」の前に「同(2)ウの事実は否認する。」を加える。
46 一六九頁二行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「同(2)エ及びオのうち、第一審原告組合員等が、本件係争期間中、昇任、昇格、特別昇給等において差別的な不利益扱いを受けたことは否認し、その余の事実は知らない。」
47 一六九頁四行目の「原告」を「控訴人ら」と改める。
48 一六九頁末行の「原告ら」を削除する。
49 一七〇頁七行目の「原告ら」を「第一審原告組合員等」と改める。
50 一七一頁八行目の「また、」の次に「第一審原告組合員等の本件係争期間中の昇給昇格状況は本件等級号俸推移表記載のとおりであることは認めるが、」を加える。
51 一七五頁一一行目、一七六頁末行及び一七七頁九行目の各「原告ら」をいずれも「第一審原告組合員等」と改める。
52 一七七頁一二行目、同頁末行及び一七八頁一行目から二行目にかけての各「原告ら」をいずれも「控訴人組合員等」と改める。
53 一七八頁四行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「また、控訴人組合の被控訴人に対する神戸税関長の不法行為に基づく損害賠償請求権は、仮にそれが存在したとしても、右不法行為が昭和四六年六月一一日以前に成立したものであるとすると、既に時効により消滅している。」
54 一七八頁五行目の「右時効」を「右各時効」と改める。
55 一七八頁一〇行目から一一行目にかけての「原告ら」を「第一審原告組合員等」と改める。
56 一七九頁三行目の「一環といして」を「一環として」と、同頁七行目の「リボン等」を「リボン着用等の」とそれぞれ改める。
57 一八〇頁一行目、同頁三行目、同頁四行目及び同頁六行目の各「原告ら」をいずれも「第一審原告組合員等」と改める。
58 一八〇頁一〇行目及び同頁一二行目の各「原告ら」をいずれも「第一審原告組合員等」と改める。
59 一八四頁一行目及び同頁五行目の各「原告ら」をいずれも「控訴人組合員等」と改める。
60 一八七頁二行目の「個人原告ら」を「第一審原告組合員等」と改める。
第四 証拠関係
一 証拠関係は、原審及び当審記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これを引用する。
二 既存の文書(現認書等)をコピーし、その一部を消除して作成され、乙号各証として提出された書証に関する当事者の主張
1 被控訴人の主張
右乙号各証(以下「新文書」という。)の元になった文書(以下「原文書」という。)は、いずれも神戸税関の職員がその部下職員等の非違行為等を上司に報告するために作成した現認書等の報告書である。原文書には、第一審原告等以外の職員についての記載も含まれているため、税関訟務官が原文書をコピーし、第一審原告等以外の職員の氏名を消除して作成したのが新文書である。民事訴訟においては、証拠能力を欠く文書は存在しないから、新文書も当然証拠能力を有するし、また、新文書は、消除した部分以外の部分は、原文書を機械的にコピーしたものであるから、原文書と同等の証拠価値を有するといえる。
2 控訴人らの主張
新文書は、税関訟務官が原文書の重要部分を消除して新たに作成した文書であり、元になった原文書とは何ら関係のない文書であるから、証拠能力が認められるべきではなく、また、原文書と同等の証拠価値も存するとはいえない。
理由
第一 当事者等について
一 税関、神戸税関及び神戸税関長
請求原因1(一)の事実は当事者間に争いがない。
二 控訴人組合及び控訴人組合員等を含む第一審原告組合員等
1 請求原因1(二)の事実は当事者間に争いがない。
2 弁論の全趣旨によって成立を認める甲第一一六ないし一五七号証、第一五九ないし二〇六号証、第二三一号証、第三〇〇号証、第三五五ないし三八七号証、第三八九ないし四〇五号証、控訴人小林霞、同大塚宏圀(第一回)、同前田信雄、同間処康成、同津村勝次、同高須賀四郎、同佐々木範明(第一回)、同深田辰次、同柳沢尚、同田中範明、同横川泰三、同川上俊智、同田村芳春(原審)、同長谷川紀彦、同脇岡秀年、同天野親聡、同原奉宣及び服部正治の各本人尋問の結果によれば、控訴人古賀照敏は、昭和二六年四月に控訴人組合に加入したが、昭和三八年頃脱退し、昭和四一年に再加入したこと、真下陳夫は、昭和三二年四月に控訴人組合に加入したが、昭和三八年に脱退し、昭和四一年に再加入したこと、控訴人川上俊智は、昭和三六年六月に控訴人組合に加入したが、昭和四〇年頃脱退し、昭和四一年一月に再加入し、昭和四四年一月に再度脱退し、昭和四八年三月に再々加入したこと、控訴人天野親聡は、昭和三七年四月に控訴人組合に加入したが、昭和三八年一月に脱退し、昭和四一年一二月に再加入したこと、控訴人那須司鋭は、昭和四一年に控訴人組合に加入したこと、以上の五名は、控訴人組合に加入、再加入、再々加入した後本件係争期間中控訴人組合に所属する組合員であったこと、その余の第一審原告組合員等は、本件係争期間中、控訴人組合に所属する組合員であったことが認められる。
三 服部正治、坂本檀及び小松正諦の死亡とその相続
請求原因1(四)の事実は当事者間に争がない。
第二 本件訴訟が提起されるに至った背景について
当裁判所の本件訴訟が提起されるに至った背景についての認定は、次のとおり(頁数は原判決の頁数を示す。)付加、訂正するほか、この点についての原判決の認定(原判決一八九頁一〇行目から同一九九頁八行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
1 一八九頁末行の「第九四号証」の次に「、第五五三号証」を加え、一九〇頁七行目の「第七七号証」を「第七六号証」と改め、同行目から八行目にかけての「第九二号証の三ないし一一、」の次に「乙第七二号証の一、二、」を、同頁八行目の「同亀岡孝雄」の次に「、同高松克己」をそれぞれ加える。
2 一九二頁一行目の「改善について当局と交渉し」を「改善を求める活動をし(控訴人組合がこのような活動をしたことは当事者間に争いがない。)、当局との交渉によって」と改める。
3 一九二頁六行目から七行目にかけての「出航の二四時間前」を「輸出貨物を積み込もうとする船舶の出港日の前日の税関の執務時間内(なお、当該船舶の出港時刻が午前である場合は、出港日の前日の午前の税関の執務時間内)」と、同頁八行目の「これを四八時間制」を「輸出申告を輸出貨物を積み込もうとする船舶の出港日の前々日の税関の執務時間内にさせるいわゆる四八時間制」とそれぞれ改める。
4 一九五頁九行目の「昭和四七年」を「昭和三七年」と改める。
5 一九六頁八行目の「以下」から同頁一〇行目の「行政職俸給表一を表す」までを「以下において、等級号俸は俸給表のそれを表す」と改める。
6 一九八頁一〇行目の「昭和三八年」を「昭和四八年」と、一九九頁一行目の「他の事業に関し」から同頁五行目末尾までを「全税関の組合員の状況とその他の労働者の状況との間での比較が可能な計数によってみれば、反組合的行為が行われたかのようにもみえる旨指摘し、理事会に対し、公共部門において反組合的な差別待遇が行われないことを確保するため適当な措置をとるよう政府に要請することなどを勧告した。」とそれぞれ改める。
第三 昇任、昇格、昇給の制度の概要及び第一原告組合員等と非組合員の昇任、昇格、昇給の推移等について
一 税関職員の昇任、昇格、昇給の制度の概要
税関職員を含む国家公務員の給与制度のしくみが請求原因4(一)のとおりであることは当事者間に争いがなく、その昇任、昇格、昇給の制度の概要は、次のとおり(頁数は原判決の頁数を示す。)訂正、付加するほか、この点についての原判決の記載(原判決二一四頁末行から同二二三頁四行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
1 二一五頁一行目の「昇任とは」から同頁二行目の「任命することである」までを「国家公務員の昇任は、人事院規則(以下「規則」という。)八―一二(職員の任免)五条二号により定義されているが、同条は職階制の実施を前提としており、これが実施されていない本件係争期間中においては、同規則八一条、人事院規則八―一二(職員の任免)の運用について(通知)(昭和四三年六月一日人事院事務総長通達任企―三四四)第五条および第八一条関係(2)により、「職員を昇格させること、級別の定めのある官にある職員を上級の官に任ずることまたは職員を法令その他の規定により公の名称の与えられている上位の官職に任命すること。」をいうものとされている(なお、前記のとおり、本判決においては、昇任を「職員を法令その他の規定により公の名称の与えられている上位の官職に任命すること」の意味で使用している。)」と改める。
2 二一五頁六行目の「昇任を含む」から同頁一二行目末尾までを「国公法三三条一項は、「すべて職員の任用は、この法律及び人事院規則の定めるところにより、その者の受験成績、勤務成績又はその他の能力の実証に基いて、これを行う。」と規定し、昇任を含む任用一般は成績主義によるべきである旨の根本基準を明らかにした。これを受けた同法三七条は、職員の昇任の方法につき、原則として、「その官職より下位の官職の在職者の間における競争試験」による(一項)が、昇任すべき官職の職務及び責任に鑑み、人事院が、当該在職者の間における試験によることを適当でないと認める場合においては、「当該在職者の従前の勤務実績に基く選考」によりこれを行うことができる(二項)旨規定している。そして、規則八―一二(職員の任免)九〇条一項、人事院規則八―一二(職員の任免)の運用について(通知)(昭和四三年六月一日人事院事務総長通達任企―三四四)第四二条、第四五条および第九〇条関係によると、右規則八五条二項所定のいわゆる指定官職以外の官職についての選考は、任命権者がその定める基準により行うものとされている。」と改める。
3 二一六頁五行目の「弁論の全趣旨」を「証人篠永正晴の証言及び弁論の全趣旨」と改める。
4 二一六頁九行目から一〇行目にかけての「人事院規則(以下「規則」という。)」を「規則」と改め、二一七頁七行目の「国公法三三条一項」の次に「は、前記のとおり、昇任を含む任用一般は成績主義によるべきである旨の根本基準を明らかにしていること、同条項」を加え、同頁八行目の「勤務実績」を「従前の勤務実績」と、同頁一〇行目の「所属庁長」を「所轄庁の長」とそれぞれ改め、同行目の「定期的に」の次に「勤務成績の」を、二一八頁二行目から三行目にかけての「当然」の次に「職員の昇任の」をそれぞれ加える。
5 二一八頁六行目から二一九頁一二行目までを次のとおり改める。
「(一) 昇格とは、給与制度上、職員の職務の等級を同一の俸給表の上位の職務の等級に変更することである(規則九―八第二条三号)。
(二) 俸給表、その等級の分類の基準、等級別定数、職員の職務の等級を決定する場合に必要な資格の基準についての概要は、請求原因四(一)(2)記載のとおりである。
ちなみに、規則九―八別表第一イ行政職俸給表(一)等級別標準職務表によると、四等級に対応する標準的な職務として、「1 本省の課長補佐又は困難な業務を分掌する係の長の職務、2 管区機関の課長、相当困難な業務を処理する課長補佐又は特に困難な業務を分掌する係の長の職務、3 府県単位機関の相当困難な業務を所掌する課の長の職務、4 地方出先機関の長又は特に困難な業務を所掌する課の長の職務」が、五等級に対応する標準的な職務として、「1 本省又は管区機関の係長又は困難な業務を分掌する係において極めて高度の知識若しくは経験を必要とする業務を処理する主任の職務、2 府県単位機関の相当困難な業務を分掌する係の長又は困難な業務を分掌する係において極めて高度の知識若しくは経験を必要とする業務を処理する主任の職務、3 地方出先機関の課長又は困難な業務を分掌する係の長の職務、4 相当困難な業務を所掌する出張所等の長の職務」が掲げられている。
(三) 昇格の要件は次の(1)ないし(5)のとおりである。
(1) 昇格させようとする職務の等級がその職務に応じたものであること(規則九―八第二〇条一項)。
(2) 等級別資格基準表に定めのある職務の等級に昇格させる場合は定められた資格(必要経験年数又は必要在級年数)を有していること(右規則二〇条一項二号)。
(3) 昇格前の職務の等級に二年以上在級していること(右規則二〇条三項)
(4) 昇格させようとする職務の等級について定められた等級別定数の範囲内であること(給与法八条二項、右規則四条二項)
(5) 勤務成績が良好であることが明らかでなければならないこと〔人事院規則九―八(初任給、昇格、昇給等の基準)の運用について(通知)(給実甲三二六)第二〇条関係〕」
6 二二二頁五行目の「職務成績」を「勤務成績」と、同頁八行目の「昇給期間」を「普通昇給期間」と、同頁九行目の「俸給額」を「俸給月額」とそれぞれ改める。
7 二二三頁二行目の「一年」を「以前一年間」と改める。
二 昇任、昇格、昇給の裁量性
当裁判所の税関職員を含む国家公務員の昇任、昇格、昇給の裁量性についての判断は、次のとおり(頁数は原判決の頁数を示す。)削除、付加するほか、この点についての原判決の判断(原判決二二三頁六行目から同二二四頁一一行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
1 二二三頁六行目の「(一)」を削除する。
2 二二四頁一一行目の次に行を改め次のとおり加える。
「この点に関し、控訴人らは、神戸税関においては、昇任、昇格については、長期欠勤した等の特別な者を除き、年功序列的運用がなされてきたし、また、特別昇給についても、入関後五年を経過し通常の勤務をしている職員については、定数の枠内においておおむね順番に実施する運用がなされてきた旨主張する。しかしながら、税関職員を含む国家公務員の昇任、昇格、昇給は、前記のとおり、成績主義の根本基準に基づき、当該職員の能力、勤務実績等を総合勘案して決定されるべき性質のものであるから、神戸税関長は、たとえ、昇任、昇格、昇給につき、従前仮に控訴人ら主張のような運用がなされていたとしても、そのような従前の運用に拘束されることなく、その時々の神戸税関の管理運営上の必要性に応じて、職員の昇任、昇格、昇給についての裁量権を行使することができるというべきである。」
三 第一審原告組合員等と非組合員の昇任、昇格、昇給の推移等
1 第一審原告組合員等の昇任、昇格、昇給の推移等
第一審原告組合員等の入関年月日及びその資格(入関当時)等が、別紙入関年月日及び資格等一覧表記載のとおりであること、第一審原告組合員等の本件係争期間の開始時(昭和三八年四月一日)と終了時(昭和四九年三月三一日)における等級号俸、本件係争期間中の特別昇給の回数と年度、昇任の年度とその職名及び昇格の年度が、本件昇給・昇格等一覧表記載のとおりであること、第一審原告組合員等の本件係争期間中の昇給昇格状況が、本件等級号俸推移表記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。
なお、後記甲五五四号証、成立に争いのない乙第三一八六号証、第三一九二ないし三一九六号証、第三二〇一号証、第三二〇三号証、第三二〇六、三二〇七号証、第三二一〇ないし三二一五号証、第三二一八号証、第三二二一ないし三二二八号証、第三二二九号証の一、二、第三二三〇ないし三二四七号証、第三二四八号証の一、二、第三二四九ないし三二五二号証、第三二五三号証の一、二、第三二五四ないし三二七一号証、第三二七三ないし三二七七号証、第三二七八、三二七九号証の各一、二、第三二八〇ないし三二八二号証、第三二八四ないし三二九七号証、第三二九八号証の一、二、第三二九九、三三〇〇号証、第三三〇一、第三三〇二号証の各一、二、第三三〇三、三三〇四号証、第三三〇五号証の一ないし三、第三三〇六ないし三三一五号証、第三三一六号証の一、二、第三三一七ないし三三二〇号証、第三三二一号証の一、二、第三三二二ないし三三二五号証、第三三二六号証の一、二によれば、第一審原告組合員等のうち別紙昇任年等一覧表記載の者が、本件係争期間経過後に、主任相当職(職名としては主任、保税実査官、監視官等がある。)に昇任した年は同表の昇任年欄記載のとおりであり、五等級に昇格した年は同表の昇格年欄記載のとおりであること〔ただし、同表中、昭和四九年とあるのは、同年四月一日以降(本件係争期間終了日の翌日以降)である。〕が認められる。
2 非組合員の昇任、昇格、昇給の推移等
(一) 被控訴人の対応
神戸税関の職員の任命権者である神戸税関長が非組合員の等級号俸、昇任、昇給等を明らかにする資料を有していることは明白であるところ、被控訴人は、非組合員の等級号俸、昇任、昇格等について明らかにすることは、人事制度の円滑な運用に支障を来すばかりではなく、国公法上の守秘義務に反することになるとして、これらを明らかにしない。しかしながら、被控訴人が非組合員の等級号俸、昇任、昇給等について明らかにすることを拒む右根拠には相当の理由があるので、被控訴人の右の訴訟上の対応が違法、不当であるとはいえない。
(二) 証拠資料とその正確性
非組合員の入関年度及びその資格、本件係争期間の開始時と終了時における等級号俸、本件係争期間中及びその後の昇任、昇格、昇給等の推移に関する証拠として、控訴人らの提出した次の各書証がある。
(1) 甲第二一二号証
昭和二五年高校組(昭和二五年中に高校卒業の資格で入関した者、以下、同様の表示をする。)の昭和三七年から昭和五九年までの役職、等級、職場の変遷を記載した一覧表
(2) 甲第二二一号証
昭和二六年六級組(昭和二六年中に六級職の資格で入関した者)の昭和三五年八月一日から昭和五七年八月一〇日までの役職の変遷を記載した一覧表
(3) 甲第二三〇号証
昭和二八年高校組の昭和四三年一二月一日から昭和六〇年八月一日までの役職、等級、職場の変遷を記載した一覧表
(4) 甲第二三三号証
昭和三七年初級組(昭和三七年中に初級職の資格で入関した者、以下、同様の表示をする。)の昭和四九年七月一日から昭和六〇年七月一日までの役職、等級、職場の変遷を記載した一覧表(この表には、昭和三九年一月に中級職に任用換えになった者も含まれている。)
(5) 甲第二四一号証
昭和二六年高校組の昭和三九年から昭和六〇年までの役職、等級を記載した一覧表
(6) 甲第二五六号証
昭和二七年四級組(昭和二七年中に四級職の資格で入関した者、以下、同様の表示をする。)及び同年高校組の昭和四〇年から昭和六一年までの役職、等級(昭和六〇年七月の給与法改正後は級、以下同じ。)、職場の変遷を記載した一覧表
(7) 甲第二七四号証
昭和三四年初級組及び同年高校組の昭和四八年一〇月現在の等級号俸、昭和四九年七月から昭和六二年五月までの役職、等級、職場の変遷を記載した一覧表
(8) 甲第二七五号証
昭和三四年初級組及び同年高校組の昭和三八年四月から昭和四九年三月までの等級号俸の推移及び特別昇給の回数を記載した一覧表
(9) 甲第二七九号証
昭和三二年四級組及び同年高校組の昭和四六年八月一日から昭和六一年八月一日までの役職、等級、職場の変遷を記載した一覧表
(10) 甲第二八四号証
昭和三五年初級組及び同年高校組の昭和三八年から昭和六二年までの役職、等級、職場の変遷及び昭和四九年三月三一日現在の等級号俸を記載した一覧表
(11) 甲第二九一号証
昭和三六年初級組の昭和三六年から昭和六二年までの役職の変遷及び等級号俸の推移(ただし、号俸は昭和四一年から昭和四九年まで)を記載した一覧表
(12) 甲第二九六号証
昭和三七年初級組の昭和六一年七月一日と昭和六二年七月一日の役職及び級を記載した一覧表
(13) 甲第三三四号証
昭和二四年旧中、高校組(昭和二四年中に旧制中学又は高校卒業の資格で入関した者)の昭和三八年から昭和六三年までの役職、等級、職場の変遷を記載した一覧表
(14) の甲第三三五号証
昭和二五年五級組(昭和二五年中に五級職の資格で入関した者、以下、同様の表示をする。)の昭和三八年から昭和六三年までの役職、等級、職場の変遷及び昭和四九年三月三一日現在の等級号俸を記載した一覧表
(15) 甲第三三六号証
昭和二五年中学組(昭和二五年中に中学卒業の資格で入関した者、以下、同様の表示をする。)の昭和三八年から昭和六三年までの役職、等級、職場の変遷及び昭和四九年三月三一日現在の等級号俸を記載した一覧表
(16) 甲第三三七号証
昭和二六年五級組及び同年旧専組(昭和二六年中に旧制専門学校卒業の資格で入関した者)の昭和三八年から昭和六三年までの役職、等級、職場の変遷及び昭和四九年三月三一日現在の等級号俸を記載した一覧表
(17) 甲第三三八号証
昭和二八年五級組及び昭和三〇年四級組の昭和三八年から昭和六三年までの役職、等級、職場の変遷及び昭和四九年三月三一日現在の等級号俸を記載した一覧表
(18) 甲第三三九号証
昭和三三年初級組及び同年高校組の昭和三八年から昭和六二年までの役職、等級、職場の変遷及び昭和四九年三月三一日現在の等級号俸を記載した一覧表
(19) 甲第三四〇号証
昭和三六年高校組の昭和三八年から昭和六三年までの役職、等級、職場の変遷及び昭和四九年三月三一日現在の等級号俸を記載した一覧表
(20) 甲第三四一号証
昭和三七年高校組の昭和三八年から昭和六三年までの役職、等級、職場の変遷及び昭和四九年三月三一日現在の等級号俸を記載した一覧表
(21) 甲第三四二号証
昭和三八年初級組の昭和三八年から昭和六三年までの役職、等級、職場の変遷及び昭和四九年三月三一日現在の等級号俸を記載した一覧表
(22) 甲第五五四号証
入関年度、資格別に、第一審原告組合員等及び非組合員の昭和三九年から平成五年までの役職、等級の変遷及び昭和三八年四月一日及び昭和四九年三月三一日現在の等級号俸を記載した一覧表
(23) 甲第六四七号証、第六五二号証
いずれも甲第五五四号証の内容を訂正した文書
控訴人小林霞、同前田信雄、同間処康成、同津村勝次、同高須賀四郎、同佐々木範明、(第一ないし三回)、同柳沢尚、同田中範明、同田村芳春(原審、当審)、同長谷川紀彦、同原奉宣及び服部正治の各本人尋問の結果によれば、控訴人組合は、昭和四七年後半から、本件訴訟を提起する準備にとりかかり、その一つとして第一審原告組合員等と非組合員との昇任、昇格、昇給差別の実態を明らかにするため、非組合員の昇任、昇格、昇給の推移につき調査を始めたこと、右(1)ないし(21)の各書証は、控訴人組合が原審の段階でその調査の結果をまとめて作成したものであり、右(22)及び(23)の各書証は、控訴人組合が、従前の調査結果を整理し、かつ、原判決後の調査に基づいて訂正を加えた上、作成したものであることが認められるところ、右各書証の内容の正確性に関しては、次の各点を指摘することができる。
(1) 成立に争いのない甲第一〇〇、一〇一号証、第一〇二号証の一ないし五七、控訴人佐々木範明の本人尋問の結果(第一回)及び弁論の全趣旨によれば、神戸税関においては、毎年一回、職員録が発行されており、これには全職員の氏名、職場、役職が記載されていること、職員の人事異動の内容(新旧の職場及び役職名)は、神戸税関の発行する広報紙に記載されることが認められる。このことからすると、控訴人組合においては、神戸税関の職員のうち誰が非組合員であるか、非組合員が何年に昇任したかを調査することは容易であるといえるから、この点についての調査結果は十分信用することができる。
(2) 控訴人佐々木範明の本人尋問の結果(第一回)により成立を認める甲第一〇四号証の一ないし三九五、第一〇五号証の一ないし四、第一〇六号証の一ないし二七、証人中田一夫の証言、控訴人佐々木範明の本人尋問の結果(第一、二回)によれば、昭和三七年後半になって脱退者が相次ぐようになるまでは、部長及び一部の課長を除く神戸税関の職員のほぼ全員が控訴人組合に所属していたこと、控訴人組合においては、必要に応じて所属する組合員の入関年度や入関資格の調査をしていたことが認められる。また、昭和三八年に誰が入関したかについては、職員録や神戸税関の広報紙を調査すれば、容易に知ることができるし、控訴人佐々木範明の本人尋問の結果(第一、二回)によれば、その者の入関資格についても職場の同僚や同期入関者の調査を通じて容易に知ることができたことが認められる。このことからすると、控訴人組合において、昭和三八年までに入関した非組合員の入関年度及びその資格を調査することは容易であるといえるから、この点についての調査結果は十分信用することができる。
(3) 前掲甲第一〇〇、一〇一号証、控訴人佐々木範明の本人尋問の結果(第一回)によれば、神戸税関の職員録には、昭和四三年度までは、職員の等級が記載されていたが、昭和四四年度からは記載されなくなったことが認められる。このことからすると、控訴人組合において、非組合員の昭和四三年度までの等級の推移を調査することは容易であるといえるから、この点についての調査結果は十分信用することができる。また、前記のとおり、昭和三七年後半までは、神戸税関の職員のほぼ全員が控訴人組合に所属していたものであるところ、前掲甲第一〇四号証の一ないし三九五、第一〇五号証の一ないし四、第一〇六号証の一ないし二七、控訴人佐々木範明の本人尋問の結果(第一、二回)によれば、控訴人組合は、所属する組合員の昇格や昇給の状況について調査把握していたことが認められ、これらの事情からすると、非組合員の昭和三八年四月一日現在の等級号俸についての調査結果は、信用するに足りるといえる。
(4) ところで、控訴人佐々木範明は、その本人尋問(第一ないし三回)において、非組合員の昭和四四年以降の等級の推移及び昭和四九年三月三一日現在の等級号俸については、主として非組合員本人などから聞き取る方法で、それ以外にも、職員の等級号俸の記載のある神戸税関長作成の人事異動連記通知書(甲第一〇三号証)や職員配置表(甲第一〇七号証の一ないし五)などを確認する方法で調査した旨供述する。しかしながら、後記のとおりの控訴人組合の分裂や神戸税関労組の結成の経緯からして、控訴人組合のした右聞き取り調査につき、控訴人組合を脱退し神戸税関労組に加入した非組合員の協力が得られたとは考え難いことや、神戸税関当局は、控訴人組合が、昭和四二年に、その調査した非組合員の等級号俸を公表し、これに対し神戸税関労組が抗議したことがあったことなどから、次第に、職員の等級号俸についての情報の秘匿に意を用いるようになったこと〔この事実は、成立に争いのない乙第九五、九六号証、控訴人佐々木範明の本人尋問の結果(第一回)及び弁論の全趣旨によって認められる。ちなみに、控訴人らが提出している人事異動連記通知書(甲第一〇三号証)は、昭和四四年一〇月一日付けのものであり、職員配置表(甲第一〇七号証の一ないし五)は、昭和四一年九月一日現在、昭和四二年一〇月一日現在、昭和四三年一月一日現在、同年七月一日現在及び昭和四四年一月一日現在のものである。〕に照らすと、右供述を直ちに採用することはできず、非組合員の昭和四四年以降の等級の推移及び昭和四九年三月三一日現在の等級号俸についての控訴人組合の調査結果には、推測の域をでない部分が多数混入していることが窺われるので、その正確性には疑問が残るといわざるを得ない〔ただし、控訴人大塚宏圀(第一回)及び同田村芳春(当審)の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、神戸税関においては、本件係争期間当時、最初の役付である主任相当職に昇任した者は、原則としてその後一年ないし二年以内に五等級に昇格させ、課長相当職(職名としては課長、統括審査官、統括調査官、支署長、統括上席官等がある。)には、四等級以上の者を充てる運用がされていたことが認められるので、右運用を前提とした推測には、その限りにおいて合理性があるといえる。〕。
(三) 非組合員の人数、本件係争期間開始時現在の等級号俸並びに主任相当職への昇任及び五等級への昇格の各年度等
正確性について指摘した右の各点を考慮すると、右各書証(特に、最新の調査結果に基づき作成された甲第五五四号証、第六四七号証、第六五二号証)によって、非組合員の人数、本件係争期間開始時現在の等級号俸並びに主任相当職への昇任及び五等級への昇格の各年度等につき、次の事実を認めることができるが、これによって、右認定以上の非組合員の昭和四四年以降の正確な等級の推移及び昭和四九年三月三一日現在の正確な等級号俸について明らかにすることはできず、他にこれを明らかにするに足りる証拠はない。なお、昭和三二年三級組(昭和三二年中に三級職の資格で入関した者)、昭和三三年中級組及び同年中学組の非組合員の存在を認めるに足りる証拠はない。
(1) 昭和二四年旧中、高校組
① 人数 四八名
② 本件係争期間開始現在の等級号俸
六等級六号俸が一名、六等級五号俸が三九名、六等級四号俸が四名、七等級七号俸が二名、七等級六号俸が二名。
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和三九年七名、昭和四〇年一一名、昭和四一年二二名、昭和四二年二名、昭和四四年ないし四八年各一名、昭和五〇年一名。
④ 五等級に昇格した年度
昭和四〇年三名、昭和四一年一二名、昭和四二年一三名、昭和四三年一三名。その余の七名(主任相当職に昭和四二年に昇任した者一名及び昭和四四年以降に昇任した者六名)は、昇任年の二年後位までには昇格した。
⑤ 本件係争期間終了時までに一名が課長相当職に、三名が課長補佐相当職に昇任した。
(2) 昭和二五年五級組
人数は九名。昭和三八年四月一日現在の等級は、五等級が五名、六等級が四名。六等級の四名は、昭和三九年から昭和四二年にかけて毎年一名ずつ五等級に昇格した。本件係争期間終了時までに、八名が課長相当職に昇任し、四等級以上に昇格した。
(3) 昭和二五年高校組
① 人数 五五名(他に出向した者を除く。)
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
六等級五号俸が二名、七等級七号俸が五〇名、七等級六号俸が二名、七等級五号俸が一名。
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和三九年一名、昭和四〇年一名、昭和四一年二四名、昭和四二年一八名、昭和四三年六名、昭和四四年四名、昭和四五年一名。
④ 五等級に昇格した年度
昭和四二年一名、昭和四三年三一名。その余の二三名(主任相当職に昭和三九年に昇任した者一名、昭和四一年に昇任した者二名、昭和四二年に昇任した者九名、昭和四三年以降に昇任した者一一名)は、一名を除き、昇任年の二年後位まで(昭和三九年及び昭和四一年に昇任した者については昭和四四年あるいはその後のこれに近い時期まで)には昇格した。
(4) 昭和二五年中学組
① 人数 四名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
全員が七等級四号俸。
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和四六年三名、昭和四七年一名。
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(5) 昭和二六年六級組
① 人数 一八名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
四等級(号俸は不明)が五名、五等級五号俸が一三名。
③ 課長相当職に昇任した年度
昭和三九年一〇名、昭和四〇年五名、昭和四二年二名、不明一名。
④ 本件係争期間開始時現在の等級が五等級であった者が四等級に昇格した年度
昭和三九年六名、昭和四〇年五名、昭和四二年二名。
(6) 昭和二六年五級組
① 人数 一二名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
六等級七号俸が一名、六等級六号俸が一一名。
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和三八年以前一名、昭和三九年四名、昭和四〇年三名、昭和四一年一名、昭和四二年一名、不明一名。
④ 五等級に昇格した年度
昭和三九年一名、昭和四〇年二名、昭和四一年七名、昭和四三年一名。
(7) 昭和二六年旧専組
① 人数 一名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
六等級五号俸
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和四二年
④ 五等級に昇格した年度
昭和四四年あるいはその後のこれに近い時期
(8) 昭和二六年高校組
① 人数 一二〇名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
七等級七号俸が六名、七等級六号俸が一〇五名、七等級五号俸が六名、七等級四号俸が三名。
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和四〇年一名、昭和四一年八名、昭和四二年二九名、昭和四三年五二名、昭和四四年二六名、昭和四五年二名、昭和四六年二名。
④ 五等級に昇格した年度
昭和四二年一名、昭和四三年一二名。その余の一〇八名(主任相当職に昭和四一年に昇任した者五名、昭和四二年に昇任した者二〇名、昭和四三年以降に昇任した者八二名)は、昇任年の二年後位まで(昭和四一年に昇任した者については昭和四四年あるいはその後のこれに近い時期まで)には昇格した。
(9) 昭和二七年四級組
① 人数 二名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
二名とも七等級六号俸
③ 主任相当職に昇任した年度
二名とも昭和四六年
④ 五等級に昇格した年度
二名とも昇任年の二年後位までには昇格した。
(10) 昭和二七年高校組
① 人数 六二名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
七等級五号俸が六〇名、不明二名。
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和四三年三名、昭和四四年二九名、昭和四五年一五名、昭和四六年九名、昭和四七年二名、昭和四八年二名。昭和四九年二名。
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(11) 昭和二八年五級組
① 人数 二名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
二名とも六等級五号俸
③ 主任相当職に昇任した年度
二名とも昭和四一年
④ 五等級に昇格した年度
二名とも昭和四三年
(12) 昭和二八年高校組
① 人数 六六名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
七等級五号俸が四一名、七等級四号俸が二五名。
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和四三年一名、昭和四四年一名、昭和四五年二九名、昭和四六年三〇名、昭和四七年三名、昭和四八年二名。
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(13) 昭和三〇年四級組
① 人数 四名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
全員が七等級四号俸
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和四四年一名、昭和四六年二名、昭和四七年一名。
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(14) 昭和三二年四級組
① 人数 三七名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
全員が七等級一号俸
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和四六年一名、昭和四七年一七名、昭和四八年一九名。
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(15) 昭和三二年高校組
① 人数 三名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
全員が八等級七号俸
③ 主任相当職に昇任した年度
全員が昭和四八年
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(16) 昭和三三年初級組
① 人数 一三名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
八等級七号俸が九名、八等級六号俸が四名。
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和四八年一二名、昭和四九年一名。
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(17) 昭和三三年高校組
① 人数 一五名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
全員が八等級五号俸
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和四八年五名、昭和四九年九名、昭和五一年一名。
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(18) 昭和三四年初級組
① 人数 二一名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
八等級六号俸が一八名、八等級五号俸が三名。
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和四九年一八名、昭和五〇年二名、不明一名。
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(19) 昭和三四年高校組
① 人数 五名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
全員が八等級四号俸
③ 主任相当職に昇任した年度
全員が昭和四九年
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(20) 昭和三五年初級組
① 人数 九名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
全員が八等級五号俸
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和四九年八名、昭和五〇年一名。
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(21) 昭和三五年高校組
① 人数 一六名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
八等級四号俸が五名、八等級三号俸が一一名
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和四九年二名、昭和五〇年一二名、昭和五一年二名。
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(22) 昭和三六年初級組
① 人数 二七名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
全員が八等級四号俸
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和四九年一名、昭和五〇年二四名、昭和五一年一名、昭和五二年一名。
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(23) 昭和三六年高校組
① 人数 二二名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
全員が八等級三号俸
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和五〇年一〇名、昭和五一年一一名、昭和五二年一名。
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(24) 昭和三七年初級組
① 人数 三二名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
全員が八等級三号俸
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和五〇年一〇名、昭和五一年二一名、昭和五二年一名。
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(25) 昭和三七年高校組
① 人数 一〇名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
全員が八等級一号俸
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和五一年三名、昭和五二年六名、残りの一名は昭和五〇年ころ退職。
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(26) 昭和三八年初級組
① 人数 二八名
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
全員が八等級二号俸
③ 主任相当職に昇任した年度
昭和五一年七名、昭和五二年一五名、昭和五三年三名、昭和五四年二名、未昇任一名。
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(27) 昭和三九年中級組
① 人数 二名(ただし、昭和三七年に初級職の資格で入関し、昭和三九年に中級職に任用換えになった者)
② 本件係争期間開始時現在の等級号俸
二名とも八等級三号俸
③ 主任相当職に昇任した年度
二名とも昭和五〇年
④ 五等級に昇格した年度
昇任年の二年後位までには昇格した。
(四) 特別昇給の回数
証人中田一夫、同篠永正晴の各証言、控訴人大塚宏圀の本人尋問の結果(第一回)及び弁論の全趣旨によれば、神戸税関では、本件係争期間中、八等級の職員(高卒の職員の場合は、入関後六年間八等級である。)については、原則として、勤務成績が特に良好であることを理由とする特別昇給をさせず、その余の職員については、非違行為があるなど特に勤務成績に問題のある職員を除いて、概ね順番に定数(昭和四三年度までは定員の一〇パーセント、昭和四三年度以降は定員の一五パーセント)の枠内で右の特別昇給をさせる運用がなされていたことが認められる。この事実によると、非違行為があるなど特に勤務成績に問題のある職員以外の昭和三八年までに入関した非組合員の多くは、本件係争期間中に、少なくとも一回は右の特別昇給をしていることを推認することができる。
四 本件係争期間終了時における第一審原告組合員等と非組合員との給与格差の存否
右三で検討した第一審原告組合員等と非組合員の昇任、昇格、昇給の推移等を比較し、本件係争期間中の第一審原告組合員等とこれと同年同資格入関の非組合員(なお、昭和三二年三級組、昭和三三年中級組及び同年中学組の非組合員の存在は前記のとおりこれを認めるに足りない。)の昇任、昇格、昇給等を、集団的、全体的に対比した場合の特徴を検討すると、次の各点を指摘することができる(なお、第一審原告組合員等各自とその比較対象者との個別的格差については、後に検討する。)。
1 本件係争期間開始時における等級号俸については、第一審原告組合員等は、特に入関年度の古い者の中に非組合員より低い処遇を受けている者が見受けられる(個別的検討は後にする。)が、おおむね非組合員と同程度の処遇を受けていた。
2 昭和三〇年以前に入関した第一審原告組合員等は、昭和二五年中学組を除き、本件係争期間終了時までに主任相当職に昇任し、少数の例外はあるものの、昇任年の一、二年後までに五等級に昇格した(昭和二六年六級組の服部正治は昭和四七年に四等級に昇格した。)。しかし、その昇任、昇格は、一部に同年同資格入関の非組合員のうちの最も昇任、昇格の遅い者のそれと同時期あるいはそれよりも早い時期(ただし、同年同資格入関の非組合員の半数以上が昇任、昇格した年よりも遅い。)になされたものもあるが、多くは、同年同資格入関の非組合員のうちの最も昇任、昇格の遅い者の昇任、昇格の時期より遅く、非組合員の半数以上が昇任、昇格した年より二ないし七年遅い(服部正治は、同年同資格入関の非組合員のうちの最も四等級への昇格が遅い者より五年遅く昇格した。)。
3 昭和二五年中学組及び昭和三二年以降に入関した第一審原告組合員等は、昭和二五年中学組の一人、昭和三三年中学組及び昭和三八年初級組の一人(退職)を除いて、本件係争期間終了時より後に主任相当職に昇任し、少数の例外はあるものの、昇任年の一、二年後までに五等級に昇格した。しかし、その昇任、昇格の時期は、一部の例外を除き、同年同資格入関の非組合員のうちの最も昇任、昇格の遅い者の昇任、昇格の時期と同じかこれより遅い(なお、昭和三二年四級組及び同年高校組の非組合員は全員が昭和四八年までに主任相当職に昇任し、昭和三三年初級組の非組合員も一名を除き昭和四八年までに主任相当職に昇任した。)。
4 本件係争期間中、非組合員の多くは少なくとも一回は特別昇給しているのに、第一審原告組合員等のうち特別昇給したのは、控訴人植田邦彦、同奥田康雄、田代勝、同木村次尾、同川上俊智及び稲松斉のみである。
右の指摘の各点に鑑みると、昭和三〇年以前に入関した第一審原告組合員等並びに昭和三二年四級組、同年高校組及び昭和三三年初級組の第一審原告組合員等は、本件係争期間終了時、集団的、全体的にみて、これと同年同資格入関の非組合員に比較し、給与(等級号俸)上劣位に処遇されていたことは明らかであるといえる。また、昭和三三年高校組の第一審原告組合員等及び昭和三四年以降に入関した第一審原告組合員等も、右に指摘した特別昇給したものの数(右の第一審原告組合員等のうちでは、控訴人川上俊智のみである。)、本件係争期間終了時以降の昇任、昇格についての処遇状況に鑑みれば、本件係争期間終了時においても既に、集団的、全体的にみて、これと同年同資格入関の非組合員に比較し、給与(等級号俸)上劣位に処遇されていたことを推認することができる。したがって、集団的、全体的にみた場合、本件係争期間終了時において、第一審原告組合員等と非組合員との間に給与格差が存在したといえる。
第四 昇任、昇格、昇給についての裁量権の濫用と不法行為の成否について
一 同一年度に同一資格で入関した職員の間で等級号俸に差異が生ずる原因
税関職員の昇任、昇格、昇給の制度の概要が前記のとおりであることに、証人篠永正晴の証言、控訴人佐々木範明の本人尋問の結果(第一回)及び弁論の全趣旨を総合すれば、同一年度に同一資格で入関した職員の間で等級号俸に差異が生ずる原因としては次のような事由がありうることが認められる。
1 昇任の遅れ
六等級から五等級へ、五等級から四等級へ昇格するためには、規則九―八別表第一イ行政職俸給表(一)等級別標準職務表に五等級あるいは四等級の職務として掲げられた職務に昇任しなければならない。したがって、昇任の遅れは昇格の遅れに直結する。
2 普通昇給の時期の遅延(昇給延伸)
昇給期間を良好な成績で勤務したとの証明が得られない者又は勤務成績についての証明が得られないものとして取り扱われる者(病気休暇等によるものと懲戒処分によるものとがある。)は、現に受けている号俸を受けたときから昇給期間を経過しても一号俸上位の号俸に昇給しない。
3 特別昇給の有無
4 双子号俸からの昇格
双子号俸以外から昇格した場合と比較して、三月ないし一二月昇給が遅れる。
5 採用時期(月日)の相異
昇給時期は、毎年一月一日、四月一日、七月一日及び一〇月一日であるところ、新採用者の最初の昇給時期は、採用時点から昇給期間に達した日が右昇給時期でないときには、その日以降の最初の昇給時期となる。
6 前歴加算及び上位資格の取得
新たに採用された者が民間等の経験を有する場合、初任給を上位に決定することができる(規則九―八第一五条)。また、職員が在職中に上位の資格を取得した場合、その資格によって受けられる初任給が現在の号俸よりも上位であるときは、その者の号俸を当該上位資格の初任給の号俸に決定することができる(規則九―八第四三条)。
7 俸給表改正時の切替え
8 八等級から七等級に昇格する際の短縮措置
勤務成績が特に良好である職員については、昇格につき等級別資格基準表に定める必要経験年数又は必要在級年数を一定の限度で短縮することができることとされている(規則九―八第二〇条)ところ、神戸税関においては、昭和三七年ころから、八等級から七等級への昇格に際し、八等級七号俸に昇給後六か月経過した時点で、右年数を短縮して七等級一号俸に昇格させる運用がなされていた。したがって、右運用のとおり昇格した者とそうでない者との間には給与上の差異が生じる。
二 裁量権の濫用と不法行為の成否
1 控訴人らは、神戸税関長が、本件係争期間中に、昇任、昇格、特別昇給等において、第一審原告組合員等を差別して不利益に取り扱い(その手段としては、昇格につながる昇任を遅らせ、双子号棒の上位になるまで同一号棒に留め、昇格期間についての短縮の措置を行わないなどして昇格を遅らせたり、普通昇給の延伸や特別昇給をさせない方法が用いられた。)、その結果、本件係争期間終了時には、第一審原告組合員等とそれに対応する同一年度に同一資格で入関した非組合員標準者との間で格差が生ずるに至っているし、しかも、第一審原告組合員等のうちの多くの者は、本件係争期間終了時において、入関年度及び資格を同じくする非組合員のうちの最も等級号棒の低い職員と比較しても、低位の格付けを受けている旨主張する。
2 当裁判所の国家公務員の昇任、昇格、昇給についての裁量権の濫用と不法行為の成否についての判断は、次のとおり(頁数は原判決の頁数を示す。)訂正、削除、付加するほか、この点についての原判決の判断(原判決二二六頁末行から同二三〇頁七行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
(一) 二二六頁末行の「このように」を「前記のとおり」と改める。
(二) 二二七頁三行目の「唯一の」を削除し、同頁四行目の「差異がないのに)として」の次に「、控訴人ら主張の方法を用いて」を加え、同頁六行目から七行目にかけての「昇給、昇格等をさせなかったことが昇給、昇格等の期待利益」を「昇任、昇格、昇給をさせなかったことが昇任、昇格、昇給に関する法律上の利益」と改める。
(三) 二二八頁三行目の「昇給をさせないことが」の次に「法律上」を加える。
(四) 二二八頁四行目の「制約はあるものの、」の次に「任命権者には、昇任、昇格、昇給に関する他の諸条件に差がない限り、労働組合の組合員を」を加える。
(五) 二二八頁八行目から二三〇頁七行目までを次のとおり改める。
「(二) しかるところ、成績主義を根本基準とする任用及び給与制度のもとにおいては、職員の昇任、昇格、昇給については、その勤務実績や能力等が反映されるものであるから、入関年度や入関資格が同じ職員間においても、年数を経るに従って、それぞれの勤務実績や能力等に応じた格差が生じることになることは当然のことである。そうである以上、第一審原告組合員等が、集団的、全体的にみて、昇任、昇格、昇給において差別扱いを受けたというためには、前記のとおり、集団的、全体的にみた場合、本件係争期間終了時において、第一審原告組合員等と非組合員との間に給与格差が存在したというだけでは足りず、更に第一審原告組合員等が、集団的、全体的にみて、本件係争期間中、勤務実績や能力等において、非組合員のそれより劣っていなかったことが立証されなければならず、また、個々の控訴人組合員等が昇任、昇格、昇給において差別扱いを受けたというためには、当該控訴人組合員等と比較の対象とした非組合員との間に給与上の格差が存在すること(集団的、全体的にみた場合、本件係争期間終了時において、第一審原告組合員等と非組合員との間に給与格差が存在したというだけでは、必ずしも個々の控訴人組合員等と比較の対象とした非組合員との間に給与上の格差が存在することになるとはいえない。)のほか、第一審原告組合員等各自が、本件係争期間中、勤務実績や能力等において、比較の対象とした非組合員より劣っていなかったことが個別的に立証されなければならないというべきである。
ところで、控訴人らは、神戸税関当局が、控訴人組合を敵視し、これに対する攻撃を繰り返し、また、控訴人組合に所属する組合員に対して、昇任、昇格、昇給以外においても様々な差別扱いを行った旨主張し、かつ、神戸税関当局が控訴人組合及びこれに所属する組合員に対して差別意思を有していたことは、控訴人らの入手した東京税関当局及び関税局作成の文書から明白に窺える旨主張するところ、仮にそのような事情が存在するとしたならば、右事情は、本件係争期間終了時において、第一審原告組合員等と非組合員との間に、集団的、全体的にみた場合、給与格差が存在したという事実と相俟って、神戸税関長が、差別意思に基づき、本件係争期間中第一審原告組合員等を昇任、昇格、昇給においても差別扱いしたことを窺わせるものであるといえるから、以下、まずこの点につき検討した上、個々の第一審原告組合員等毎に給与格差の程度や勤務成績(非違行為の有無等)等につき検討を進めることにする。」
第五 神戸税関長の差別意思の存否について
一 神戸税関当局による控訴人組合に対する攻撃及びその所属組合員に対する差別扱いの存否
当裁判所の神戸税関当局による控訴人組合に対する攻撃及びその所属組合員に対する差別扱いの存否についての認定、判断は、次のとおり(頁数は原判決の頁数を示す。)付加、訂正、削除するほか、この点についての原判決の認定、判断(原判決二三一頁一行目から同三〇四頁末行まで)のとおりであるから、これを引用する。
1 二三一頁三行目の「第三〇六六号証」の次に「、第三〇七一号証」を加える。
2 二三一頁八行目の「一一月一一日」を「一一月一六日」と改め、同頁一二行目の「内容とする」の次に「年末年始休暇完全消化の御協力方要請についてと題する」を、二三二頁一行目の「申告書の受理は」の次に「、原則として本年一二月二八日までとし、輸入申告書の処理は、」を、同頁九行目の「(矯正措置)に付した」の次に「(なお、全税関中央執行委員長伊藤信治は、同年一一月三〇日、この件で東京税関長から訓告に付された。)」をそれぞれ加える。
3 二三三頁八行目から二三四頁七行目までを次のとおり改める。
「しかしながら、神戸税関当局が昭和三三年度の交渉において右のとおり言明したことを認めるに足りる証拠はない上、そもそも、税関業務の停滞は関係業者の営業や国民生活に多大の影響を及ぼすことは明らかであり、そのために、関税法上臨時開庁制度までもが設けられていること(関税法九八条)からすると、年末年始における税関業務をどの程度行うかは、行政需要の有無、程度、関係業者の協力が得られるか否か(なお、弁論の全趣旨により成立が認められる乙第三〇六七号証によれば、昭和三五年一月に行われた大蔵大臣と関西の財界人との懇談の席上、貿易団体の代表が大蔵大臣に対し、「神戸税関は太政官布告をタテに年末に休むので業者が困っている。」と詰め寄ったことが認められ、このことからすると、その当時、関係業者の中に神戸税関が少なくとも年末に開庁しないことに対する抵抗が強かったことが窺える。)、職員の労働条件に与える影響等を総合考慮し、税関長において決定すべき事項であるといえる。もとより、控訴人組合において、神戸税関職員が年末年始休暇を完全に取得できるようにするため当局と交渉する等の活動をすることは、正当な組合活動として是認されるべきものであることはいうまでもないが、控訴人組合が採った前記手段は、税関長の決定すべき事項に介入するかのような外観を呈し、前記のとおり、関係業者に無用の混乱を招く虞のあるものであって、正当な組合活動を逸脱するものというべきである。」。
4 二三四頁一〇行目の「攻撃であるということができない」を、「攻撃であるということはできない」と改める。
5 二三四頁一二行目の「乙第三〇七二号証、」の次に「証人亀岡孝雄の証言によって成立を認める乙第一一号証の一ないし八、」を、二三五頁七行目の「七月九日、」の次に「争議行為をそそのかし、あおったことや上司の命令に従う義務及び職務に専念する義務に違反したことなどを理由として、」をそれぞれ加える。
6 二三五頁一一行目の「右事実によれば、」の次に「控訴人組合の行った右各職場集会は違法な争議行為であるといえるから、」を加える。
7 二三六頁六行目の「しかし、」の次に「右職場集会が、安保国民会議、国公共闘会議等の全国統一行動としてなされたものであるからといって、そのことによって、その違法性が阻却、軽減されるものではなく、また、」を加える。
8 二三六頁一一行目から二三七五行目までを次のとおり改める。
「(1) 神戸税関長が、昭和三六年八月一九日、控訴人大塚宏圀を戒告処分にしたことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第五七号証によれば、右処分の理由は、「控訴人大塚は、昭和三四年一〇月二七日午後五時三〇分頃、当時神戸港第四突堤に維けい中の共栄タンカー株式会社所属外国貿易船天栄丸に同船司厨長高島一志を訪れ、同船司厨長室において前記高島と雑談し、同日午後六時頃、前記雑談中に米国製紙巻煙草チェスターフィールド二カートン、米国製キスチョコレート二函を収納した風呂敷包を携帯した前記高島と共に下船し、同船々側より前記高島外二名とタクシーに同乗して直ちに神戸税関本庁前通路監所に至り、同所において同関陸務課職員が前記風呂敷包を発見してこれに外国貨物が収納されていないかと質問したところ、前記高島をして陸務課職員に前記風呂敷包を提示させ又はその内容について説明させることなく矢庭に自ら前記風呂敷包を持ってタクシーから降り約四〇米離れた本庁前旅具検査所の方向に赴き、後を追って来た前記高島にこれを渡したものである。以上の控訴人大塚の所為は前記風呂敷包に外国製品が収納されていることを知り得べき状況下にありながら、税関職員一般としての注意を欠いたためこれを確知することなく、よって高島に対して税関職員として適切な指導を怠り、かつ前記陸務課職員の職務執行に対して協力しなかったものである。これは公務員たるにふさわしくない行為であって、国家公務員法第八二条第三号に該当する。」というものであったことが認められる。」
9 二三七頁六行目から七行目にかけての「乙第六〇号証の六ないし一一、」の次に「第八五号証、」を加え、同頁一〇行目の「篠原正晴」を「篠永正晴」と改め、同頁一〇行目から一一行目にかけての「原告大塚宏圀本人尋問の結果」の次に「(第一回)」を加え、二三九頁六行目から七行目にかけて及び二四〇頁五行目の各「審査課」をいずれも「審理課」と改める。
10 二四二頁末行及び二四三頁七行目の各「後部座席」をいずれも「後部トランク」と改める。
11 二四五頁五行目の「第二〇号証の一」の次に「、二」を加え、同頁九行目の「監査部長」を「鑑査部長」と改める。
12 二四七頁一一行目の「前掲乙第二〇号証の一」から同頁一二行目から末行にかけての「第九九号証の一」までを「前掲乙第二〇号証の一、二、第七七、七八号証の各一ないし三、第七九号証の一、二、第八〇号証、証人中田一夫、同亀岡孝雄の各証言、控訴人大塚宏圀の本人尋問の結果(第一回)」と改める。
13 二四九頁末行末尾の次に「神田綽夫、中田一夫及び田代一郎は、右集会の準備をし、神田綽夫は組合員の団結をうながす演説をした。」を、二五〇頁一〇行目末尾の次に「神田綽夫は列外に出て音頭をとり、田代一郎は列外に出て隊列の後部を指導した。」をそれぞれ加える。
14 二五三頁一二行目の「監査第一部門」及び二五四頁九行目の「審査第一部門」をいずれも「鑑査部第一部門」と、同頁一一行目及び二五六頁七行目の各「監査部長」をいずれも「鑑査部長」と、同頁八行目の「組合役員ら」を「中田及び田代を含む組合役員ら」と、同頁九行目から一〇行目にかけての「「神田支部長らが」を「その席で、神田支部長が、「」とそれぞれ改める。
15 二五七頁三行目から二五八頁一行目までを次のとおり改める。
「(3) 前掲乙第二〇号証の一、二、原本の存在と成立に争いのない乙第三一一八号証によると、神田綽夫、中田一夫及び田代一郎は、昭和三七年、神戸税関長を被告として、神戸地方裁判所に対し、第一次的に前記懲戒免職処分の無効確認を、第二次的にその取消しを求める訴訟を提起したこと、神戸地方裁判所は、昭和四四年九月、第一次的請求を棄却した上、懲戒免職処分の理由とされた右三名の各行為は、いずれも国公法等に違反し、同法八二条一号あるいは三号所定の懲戒事由に該当するが、右三名に対する懲戒免職処分には、懲戒権の裁量の範囲を超えた瑕疵があることを理由として、第二次的請求を認容する判決をしたこと、その控訴審(神戸税関長が控訴し、右三名が附帯控訴した。)において、大阪高等裁判所は、昭和四七年二月、ほぼ同様の理由で、神戸税関長の控訴を棄却する判決をしたこと(なお、右三名の附帯控訴に基づき、第一次的請求を棄却した部分は取り消された上、これにかかる訴えは却下された。)、その上告審(神戸税関長が上告した。)において、最高裁判所は、昭和五二年一二月二〇日、右三名には懲戒事由が存在する(前記控訴人大塚にかかる懲戒処分に対する抗議行動に関する田代一郎の行為は国公法八二条三号に、前記勤務時間内職場集会、輸出為替職場への人員増加要求及び超過勤務命令撤回闘争に関する右三名の各行為は同法八二条一、三号にそれぞれ該当する。)とした上、右三名の本件行為の性質、態様、情状及びそれまでの処分歴等に照らせば、前記懲戒免職処分が社会観念上著しく妥当性を欠くものとまではいえず、これが懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えこれを濫用したものと判断することはできないこと、右処分は右懲戒事由にあたることを理由として行われたものと解されるから、何ら不利益取扱の禁止に違反するものではないことなどを理由として、「原判決中上告人敗訴部分を破棄し、右部分に関する第一審判決を取り消す。前項の部分につき、被上告人らの請求をいずれも棄却する。」旨の判決をしたことが認められる。」
16 二五八頁七行目の「甲第六号証、」の次に「第八、九号証、第三四号証、第三九号証、」を加え、同頁八行目の「第九九号証の一、」を削除し、同頁九行目の「四二号証」の次に「、第九九号証の一、二、成立に争いのない甲第九八号証、第九九号証の一、弁論の全趣旨によって成立を認める甲第六〇号証の一ないし二五、第六一号証、第九九号証の二ないし六」を加える。
17 二五九頁二行目の「一四―一〇」を「一四―〇)と改める。
18 二六四頁一行目の「昭和五七年」を「昭和三七年」と、同頁四行目の「監査部」を「鑑査部」とそれぞれ改める。
19 二六四頁一一行目の「(3)」を「(二)」と改める。
20 二六七頁七行目末尾の次に「他に、控訴人組合からの組合員の脱退や控訴人組合の分裂に神戸税関当局が関与したことを認めるに足りる証拠はない。」を加える。
21 二六七頁八行目から九行目にかけての「脱退したももの」を「脱退したものの」と改める。
22 二六八頁六行目から二七一頁三行目までを次のとおり改める。
「前掲乙第三一八六号証、第三一九二ないし三一九六号証、第三二〇一号証、第三二〇三号証、第三二〇六、三二〇七号証、第三二一〇ないし三二一五号証、第三二一八号証、第三二二一ないし三二二八号証、第三二二九号証の一、二、第三二三〇ないし三二四七号証、第三二四八号証の一、二、第三二四九ないし三二五二号証、第三二五三号証の一、二、第三二五四ないし三二七一号証、第三二七三ないし三二七七号証、第三二七八、三二七九号証の各一、二、第三二八〇ないし三二八二号証、第三二八四ないし三二九七号証、第三二九八号証の一、二、第三二九九、三三〇〇号証、第三三〇一、三三〇二号証の各一、二、第三三〇三、三三〇四号証、第三三〇五号証の一ないし三、第三三〇六ないし三三一五号証、第三三一六号証の一、二、第三三一七ないし三三二〇号証、第三三二一号証の一、二、第三三二二ないし第三三二五号証、第三三二六号証の一、二、成立に争いのない乙第八六号証の一、二、第三一八四、三一八五号証、第三一八七ないし三一九一号証、第三一九七ないし三一九九号証、第三二〇〇号証の一、二、第三二〇二号証、第三二〇四、三二〇五号証、第三二〇八、三二〇九号証、第三二一六、三二一七号証、第三二一九、三二二〇号証及び弁論の全趣旨によれば、本件係争期間開始当時、神戸税関には、総務部、監視部、業務部及び鑑査部が置かれていたこと、そのうち業務部及び鑑査部は昭和四二年頃に輸出部と輸入部とに再編されたこと、第一審原告組合員等のうち本件係争期間中に総務部又は監視部(ただし、監視部貨物課を除く。同課は、昭和四一年九月一日に大蔵省組織規程の一部改正により業務部貨物課となり、昭和四二年七月二五日に大蔵省設置法及び大蔵省組織規程の改正により輸出部保税課となった。)に配属されていた者及びその期間は、次の(一)ないし(二〇)のとおりであることが認められる。
(一) 控訴人今村奈智子は、本件係争期間開始時以前から昭和四四年六月一日に配置換えされるまで、総務部総務課に配属されていた。
(二) 控訴人津村勝次は、昭和四一年八月三日から昭和四四年一〇月一日に配置換えされるまで、監視部旅具課に配属され、また、昭和四五年二月一六日から同年一〇月一日に解除されるまで、同課に併任されていた。
(三) 控訴人古谷太郎、同大辻茂登夫、同佐野年則、同玉井進吾郎及び同山本昌文は、本件係争期間開始時以前から昭和三九年七月一日に配置換えされるまで、監視部警務第二課に配属されていた。
(四) 控訴人横川泰三、同大橋正義、同白川弘視、同友常均、同中岡俊昭、同西村彦三郎、同藤池征夫、同堀斉、同宮浦忠重及び高橋亘は、本件係争期間開始時以前から昭和三九年七月一日に配置換えされるまで、監視部警務第一課に配属されていた。
(五) 控訴人井上恭光は、本件係争期間開始時以前から昭和三九年七月一日に配置換えされるまで、監視部警務第一課に配属され、同日から昭和四一年八月三日に配置換えされるまで、総務部会計課に配属されていた。
(六) 控訴人乾正明、同脇岡秀年及び同藤原敏弘は、本件係争期間開始時以前から昭和四〇年七月一六日に配置換えされるまで、監視部警務第二課に配属されていた。
(七) 控訴人大釜昭雄は、本件係争期間開始時以前から昭和四〇年七月一六日に配置換えされるまで、監視部警務第一課に配属されていた。
(八) 控訴人川上俊智は、昭和三九年四月一日から昭和四〇年七月一六日に配置換えされるまで総務部総務課に配属され、同日から昭和四三年一〇月一日に配置換えされるまで、監視部(最初に警務第一課、次いで警務第二課。一時警務第三課に併任。)に配属されていた。
(九) 控訴人田村芳春は、昭和三八年五月二五日から昭和四〇年七月一六日に配置換えされるまで、監視部警務第一課に配属されていた。
(一〇) 控訴人長谷川紀彦は、昭和三九年七月一日から昭和四〇年七月一六日に配置換えされるまで監視部警務第二課に配属されていた。
(一一) 控訴人藤田貫治は、本件係争期間開始時以前から昭和三八年六月一日に配置換えされるまで、監視部警第一課に配属されていた。
(一二) 控訴人吉野陽児及び同河合健治は、昭和三八年五月二五日から昭和四二年一〇月一日に配置換えされるまで、監視部警務第一課に配属されていた。
(一三) 控訴人井手輝彦は、昭和三九年七月一日から昭和四〇年七月一六日に配置換えされるまで、監視部警務第一課に配属されていた。
(一四) 控訴人天野親聡及び同那須司鋭は、昭和四二年一〇月一日から昭和四三年一〇月一日に配置換えされるまで、監視部警務第二課に配属されていた。
(一五) 控訴人十倉健は、本件係争期間開始時以前から昭和四〇年一二月一日に配置換えされるまで、監視部警務第二課に配属されていた。
(一六) 控訴人山本昭昌及び同原奉宣は、本件係争期間開始時以前から昭和四一年八月八日に配置換えされるまで、監視部警務第一課に配属されていた。
(一七) 控訴人玄田哲夫は、昭和三八年五月二五日から昭和四一年八月三日に配置換えされるまで、監視部警務第一課に配属されていた。
(一八) 村田安弘は、昭和三八年五月二五日から昭和四二年一〇月一日に配置換えされるまで、監視部警務第二課に配属されていた。
(一九) 山之内輝雄は、昭和三八年五月二五日から昭和四一年四月一四日に配置換えされるまで、監視部(最初に警務第一課、次いで警務第二課。)に配属されていた。
(二〇) 控訴人細川義信は、本件係争期間開始時以前から昭和四二年一〇月一日に配置換えされるまで、監視部警務第一課に配属されていた。
右認定事実によると、第一審原告組合員等は、本件係争期間中に少数の例外を除いて総務部には配属されていなかったこと、本件係争期間開始当時に監視部に配属されていた第一審原告組合員等は相当数いたが、それらの者の多くは昭和四一、二年頃までに他に配置換えされたこと、本件係争期間中に新たに監視部に配属された第一審原告組合員等は僅かであったことが明らかである。
しかしながら、このことから直ちに、神戸税関当局が、第一審原告組合員等を控訴人組合の組合員であることを理由として総務部及び監視部から排除したものであるとはいえない。すなわち、個々の職員の配置については、神戸税関長が、各職員の能力、適正、経験等を総合考慮して決定する権限を有しているところ、神戸税関の総務部は、神戸税関の所掌事務の総合調整、職員の人事に関する事務等を行う部署であり、また、監視部は、質問検査権等の広範な公権力を行使して密輸の取締り等を行う部署であるから、右各部においては、いずれもとりわけ規律の維持や公務秩序の確保が要請されること、しかるに、第一審原告組合員等の多くは、後記のとおり、本件係争期間を通じて、上司の注意や命令に従わないで非違法行為を繰り返していたことに鑑みると、第一審原告組合員等の前記認定の総務部及び監視部への配属の状況は、神戸税関長において、その職員につき、非違行為の有無等を含めて、右各部の職員としての適正の有無等を検討の上配置した結果に過ぎないとみる余地は十分にあるというべきである。
他に、神戸税関当局が、第一審原告組合員等を控訴人組合の組合員であることを理由として総務部及び監視部から排除したものであることを認めるに足りる証拠はない。」
23 二七一行五行目の「前記」を削除する。
24 二七二頁七行目の「また、」の次に「控訴人横川泰三の本人尋問の結果及び」を加え、同頁八行目の「勤務体制」を「警務体制」と改める。
25 二七三頁六行目の「時期にかかっていた」の次に「こと」を加える。
26 二七三頁一二行目の「税関の研修」を「税関研修所で行われる研修」と、二七四頁二行目の「基礎研修」を「基礎科研修」とそれぞれ改める。
27 二七四頁末行から二七五頁八行目までを次のとおり改める。
「しかしながら、前掲乙第三一八四ないし三一九九号証、第三二〇〇号証の一、二、第三二〇一ないし三二二八号証、第三二二九号証の一、二、第三二三〇ないし三二四七号証、第三二四八号証の一、二、第三二四九ないし三二五二号証、第三二五三号証の一、二、第三二五四ないし三二七一号証、第三二七三ないし三二七七号証、第三二七八、三二七九号証の各一、二、第三二八〇ないし三二八二号証、第三二八四ないし三二九七号証、第三二九八号証の一、二、第三二九九、三三〇〇号証、第三三〇一、三三〇二号証の各一、二、第三三〇三、三三〇四号証、第三三〇五号証の一ないし三、第三三〇六ないし三三一五号証、第三三一六号証の一、二、第三三一七ないし三三二〇号証、第三三二一号証の一、二、第三三二二ないし三三二五号証、第三三二六号証の一、二、成立に争いのない乙第三二七二号証、第三二八三号証の一、二、弁論の全趣旨によって成立を認める乙第三一七四ないし三一七七号証によれば、本件係争期間開始時以前に、第一審原告組合員等のうち、控訴人塩田静夫、同小林霞、同大塚弘圀、同田代勝、同小島久、同津村勝次、同平田雍彦、同木村次尾、同下前春生、同岩本宏、同高嶋初一、同深田辰次及び服部正治の一三名が、既に普通科研修を受講し終えていたこと、本件係争期間開始時以後普通科研修が中等科研修となった前年の昭和四四年度までの間においても、控訴人榎本和行、同宮村融、同稲岡辰男、同原田晃寛、同辻一清、同中山勝治、同高谷安則、同井上洋一、同今村恒紀、同松岡龍二、同井口恭光、同川上俊智、同中岡俊昭、同堀斉、同沢井庸晃、同天野親聡、桶谷孝史、真下陳夫、大西宏之、高橋恒の二〇名が、普通科研修を受講したこと(なお、その当時控訴人組合の組合員であった中安克己も受講した。)、本件係争期間中、第一審原告組合員等の中には高等科研修を受講した者はいないが、各種の専門研修を受講した者は多数いたことが認められる。
右認定事実によると、第一審原告組合員等が普通科研修から完全に排除されていたといえないことは明らかである。また、第一審原告組合員等の中には、普通科研修を受講していない者も多数いるが、普通科研修には定数枠があったことや非組合員の受講状況を認めるに足りる証拠がないことに鑑みると、そのことから直ちに、控訴人組合に所属する組合員が、控訴人組合に所属していることを理由として、普通科研修の受講につき不利益な取扱いを受けたとはいえず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。」
28 二七五頁一〇行目の「神戸支部」を「神戸支所」と、二七六頁五行目の「乙第三一七七号証」を「各証拠」とそれぞれ改める。
29 二七七頁三行目の「弁論の全趣旨」から同頁四行目の「原告ら」までを「前記のとおり、第一審原告組合員等」と改める。
30 二七七頁一一行目の「乙第六七号証、」の次に「第三一七二号証、」を、同頁一二行目の「乙第六六号証」の次に「、控訴人田村芳春の本人尋問の結果(原審)」をそれぞれ加え、二七八頁一二行目の「垂水寮には」を「垂水寮は」と改める。
31 二八二頁四行目から二八五頁四行目までを次のとおり改める。
「右1及び第二において認定した控訴人組合の活動に関する事実に、成立に争いのない乙第九八号証、第一〇一号証、原本の存在と成立に争いのない乙第三一七八号証、証人大西昭三、同荒川八郎の各証言及び弁論の全趣旨によれば、神戸税関長は、昭和三四年一二月二四日、神戸税関所属庁舎の管理に関する規則(昭和三五年一月一日施行、以下「旧管理規則」という。)を定めたこと、旧管理規則は、神戸税関本関庁舎における管理者には税関長官房会計課長を各支署、出張所及び監視署における管理者には、各支署長、出張所長及び監視所長を充てること(三条)、庁舎等の目的外使用には管理者の許可を要すること(一二条)、庁舎等においては、原則として所定の提示場所以外での掲示は禁止され、掲示内容は政治目的を有するものや税関業務の運営を阻害するものなどであってはならず、管理者はこれらに違背する掲示を撤去することができること(一四条)、管理者は、一定の行為をする者(職員に面会を強要する者、旗、のぼり、宣伝ビラ、プラカード等を庁舎等において所持、使用等する者、庁舎等において放歌高唱やねり歩く等の行為をし、又はしようとする者等が列挙されている。)に対し、庁内の秩序を維持するため、その行為を禁止し、庁舎等から退去することを命ずることができること(一八条)などを規定していたこと、神戸税関長は、控訴人組合が、旧管理規則に違反する行為(庁舎の出入口にピケをはって職員の登庁を阻止したり、勤務時間内に食込む職場集会を行ったり、庁舎内をデモ行進したり、税関長室前で座込みをしたり、上司に面会を強要したりするなどの行為)を繰り返したことから、その庁舎等の管理を強化すべく、昭和三八年一二月七日、神戸税関所属庁舎等の管理に関する規則(同日施行、以下「庁舎管理規則」又は「庁舎等管理規則」という。)を定め、旧管理規則を廃止したこと、庁舎管理規則は、従来管理者とされていた者だけで庁舎等の管理を行うことには無理があることから、従来の管理者の外に各職場ごとに使用責任者を置き、管理者と使用責任者が相互に協力して、神戸税関所属庁舎等の適切な運用及び秩序の維持を図ることとする(一、四条)と共に、庁舎等の目的外使用の要件や手続、掲示が禁止される対象や管理者等の定めた掲示場所以外の場所に掲示する際の手続、掲示物の撤去、庁舎等において禁止される行為等について従来の規定を整理したり、より具体化したことが認められる。
しかしながら、神戸税関長は、神戸税関の職場環境が良好に維持され、その業務が円滑に遂行されるようにするため、その管理運営する庁舎等の秩序を維持し、これを適正に運用すべき義務及び権能を有するというべきであるから、神戸税関長が、そのために必要な庁舎等の管理に関する規則として、旧管理規則及び庁舎管理規則を定めたことには、何ら違法、不当な点はないといえる。もっとも、庁舎管理規則は、前記のとおり、控訴人組合の活動を直接の契機として、旧管理規則を廃止した上制定されたものであるが(庁舎管理規則の制定は、実質的には旧管理規則の改定であるので、以下、庁舎管理規則の改定と表現する。)、控訴人組合は、庁舎管理規則が改定されるまでに、前記のとおり、庁舎内において正当な組合活動を逸脱した行動を採って職場の秩序を乱し、神戸税関の業務の円滑な遂行を阻害する活動を繰り返していたものであることに鑑みると、神戸税関長において、このような違法行為を規制し、排除する意図のもとに、その庁舎等の管理を強化すべく、庁舎管理規則を改定したことには十分な合理性があるといえる(そもそも、神戸税関長において、右の違法行為を何ら規制することなく放置することは、その職責上到底許されることではない。)。なお、庁舎管理規則は、その内容からして、控訴人組合の正当な組合活動までをも規制しようとするものではないことは明らかである。
ところで、控訴人らは、神戸税関当局は、庁舎管理規則を理由として、控訴人組合の組合活動に対し、様々な弾圧を加えた旨主張する。」
32 二九一頁一一行目の「自覚させこと」を「自覚させること」と改める。
33 三〇〇頁四行目及び六行目の各「新井浜」をいずれも「新居浜」と改める。
34 三〇三頁一〇行目の「前掲甲第二九一号証」から三〇四頁六行目末尾までを「前記のとおり、控訴人川上俊智は昭和四四年一月に控訴人組合を脱退したものであるところ、前掲乙第三二八九号証、控訴人川上俊智本人尋問の結果によれば、同控訴人が昭和四六年七月一日に特別昇給したことが認められるものの、そのことだけから直ちに、右特別昇給が、控訴人組合を脱退したことを理由としてなされたものであり、控訴人組合を脱退しない者に対するみせしめとしてなされたものであるとまでいうことはできない。」と改める。
二 東京税関当局及び関税局作成文書から窺える神戸税関長の差別意思の存否
控訴人らは、全税関本部に送付されてきた東京税関当局が作成したと思われる文書(以下「東京税関文書」という。)から、神戸税関を含む全国の各税関当局が、本件係争期間中、関税局の指導の下に、全税関所属の組合員を差別する意思に基づき、様々な方策を実施してきたことが容易に推察でき、また、全税関本部が正森成二衆議院議員より入手した、同議員が衆議院予算委員会での質問に用いた関税局作成と思われる文書(以下「関税局文書」という。)から、関税局及び全国の各税関当局が、昭和五八年ないし昭和六一年当時、全税関所属の組合員を差別する方針を有していたことが明らかであり、それは本件係争期間当時から維持、継続されていた旨主張するので、この点につき検討する。
1 東京税関文書について
(一) 文書の成立
控訴人らは、東京税関当局が作成した同税関の幹部会議議事録等の写し(ただし、甲第三一八号証の四ないし一二の各一は原本である。なお、証人伊藤栄二の証言によると、その各原本は全税関本部に保管されていることが認められる。)であるとして、甲第三〇四号証の一ないし四の各一、第三〇五号証の一ないし七の各一、第三〇六号証の一、第三〇七号証の一ないし四の各一、第三〇八号証の一ないし五の各一、第三〇九号証の一ないし三の各一、第三一〇号証の一、二の各一、第三一一、三一二号証の各一、第三一三号証の一ないし三の各一、第三一四号証の一、二の各一、第三一五号証の一ないし六の各一、第三一六号証の一ないし三の各一、第三一七号証の一ないし三の各一、第三一八号証の一ないし一二の各一、第三一九号証の一ないし八の各一、第三二〇号証の一ないし三の各一、第三二一号証の一ないし三の各一を提出した。ところで、全税関本部が右各文書を入手した経緯につき、証人伊藤栄二は、これらは全税関の本部に郵送されてきた旨証言するものの、同証人が、全税関副中央執行委員長の立場にありながらその郵送の方法、形態、差出人等については、何ら具体的な証言をできなかったことに鑑みると、入手の経緯に関する右証言を直ちに信用することはできず、他にこの点を明らかにする証拠はなく、また仮に、それがそのとおりであるとしても、それ以前の入手経路は、証拠上全く不明である。その上、右各文書の中には、その記載内容自体から、完成した文書とはいえないものも見受けられる。しかしながら、右の各点を勘案しても、右各文書は、いずれもその形式、記載内容、秘などの取扱基準を示す押印の存在、東京税関の用紙であることを示す記載の存在等からして、東京税関当局(ただし、甲第三〇八号証の一ないし五の各一は関税局)が作成した文書とみても不自然ではないこと、被控訴人は、東京税関当局が調査しても右各文書の存在が確認できなかったというにとどまり、特にこれらが偽造されたものである旨の主張はしていないこと、右各文書が作成されたと主張されている当時、東京税関の総務部総務課長であった小林悦男及び同課総務第一係長であった武石幸二は、いずれも全税関東京支部が国を被告として東京地方裁判所に提訴した本件訴訟と同種の訴訟において証人として尋問された際、右各文書は東京税関当局によって作成されたものではない旨の明確な証言はしていないこと(この事実は、成立に争いのない甲第六四八ないし六五〇号証に弁論の全趣旨を総合して認められる。なお、右証言をすることが公務員であった者の守秘義務違反に該当しないことは明らかである。)からすると、右各文書は、東京税関当局(ただし、甲第三〇八号証の一ないし五の各一は関税局)が作成したものであると認められる。
(二) 右各書証に証人伊藤栄二の証言を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 昭和四二年四月一一日に開催された東京税関の部長会議において、東京税関総務部長は、関税局が主催して開催された全国の税関総務部長会議の結果報告をしたが、その中には次の事項が含まれていた。
① 八等級から七等級への昇格の場合に差別をつけることについて、当関と神戸は、矯正措置のあった者に対してのみ慎重にやるべきであるとの意見であったが、横浜は当然やるべきだとの意見であった。矯正措置をつけただけでは必ずしも成績不良と判定するのは問題だから、成績不良の事実を逐一記録にとっておく必要があるとの意見があった。この問題は大蔵省全体として検討の上慎重に実施すべきであると意見を述べておいた。
② 若年層の特別昇給については、八等級職員に対して行っても余りメリットがないとの結論がでた。
③ 勤勉手当の減額については、本省はX割だけでなくもっと突っ込んだ減額措置を検討したいといっていた。大多数の税関はやるべきだとの意見であった。
④ 新職員の受け入れ体制については、大阪税関の意見は、警務課に直ちに配属させることには反対であった。その理由は、戸外勤務、分散勤務で管理教育が徹底しにくいし、若年者の集団は外部の刺激に弱い、むしろ、内部事務部門に配置し、先輩との密接な人間関係に入れた方がよいということであった。
⑤ 本省は同盟の線でいくべきだとの意見であれば、誰もが納得のいく明解な理論を展開の上打ち出すべきであって、ただ神戸をたたえ東京を批判する書き方に一言意見を述べておいた。労務対策は各関一律のやり方を強いるのはおかしいし、数をもって批判するのもおかしいと指摘しておいた。
⑥ 大蔵職組の中の一部には容共的行動もあり、その中に税関労組が入っていることは危険であり、大蔵職組への単なるつきあいとはいえ、情勢は変化しつつあるので、その点につき当関の幹部職員は注意してほしいと要望された。東京税関の幹部の基本路線はどうなのかときつい質問があった。
(2) 関税局は、税関職員につき制服着用規程を欠く現状では、職員が制服を着用したまま早朝ビラまきを行い、昼休みに職場集会に参加し、プラカードをもって行進するなどしても、これを法的に禁止することは困難であることから、これらの行為を規制し、服務規律の厳正化を図るためとして、大蔵大臣訓令「税関職員服制細則」等を制定することを企図し、昭和四二年四月七日付けの「税関職員服制細則の制定について」と題する文書により、右細則等を制定した場合の問題点を掲げた上、実施についての問題点や補正すべき点につき、各税関の意見を求めた。
昭和四二年四月二六日に行われた東京税関の部長会議において、右事項が議題の一つとして取り上げられ、それについての協議に際し、東京税関総務部長は、「服装規制制度の趣旨は、旧労税関職員が制服姿で赤旗を振り、駅頭その他大衆の面前で組合のビラまきをする等の行為を制限するところにある。」と説明した。
(3) 昭和四二年九月一一日に開催された東京税関の幹部会議において、東京税関長は、関税局が主催して開催された全国の税関長会議の結果について説明したが、その中には次の事項が含まれていた。
① 旧労古手の対策としてある税関長が専門官の設置の意見を出したが、本省から甘い考えだと批判された。
② 旧労対策には官は懸命にやっているが、もっと大事なことは、新労を強くすることであると官房長にいっておいた。
(4) 右幹部会議において、東京税関総務部長は、右税関長会議の結果についての補足説明をしたが、その中には次の事項が含まれていた。
① 横浜税関長から官房長に対し、「新職員の基礎研修は良い。マル共組合を追いつめていくのに効果があるので毎年、新職員を採用し、研修を実施してほしい。」との要望があった。
② 財務調査官は、あいさつの中で、「組合の混乱期は過ぎ、いわば平穏を保っているため、かつての生々しい経験を忘れがちである。この際、かつての苦闘を思い起こして管理体制を確立してほしい。」旨述べた。
(5) 昭和四二年一一月二四日に開催された東京税関の幹部会議において、東京税関長は、全国の税関総務部長会議の議題に関連して、「勤勉手当によって差別をつけるより、現行の昇給延伸の方策が必罰の効果が大きい。」旨発言した。
(6) 昭和四三年一一月二九日に開催された東京税関の幹部会議において、東京税関総務部長は、全国の税関総務部長会議の結果の一つとして、「昭和四三年度初級職試験合格者の採用について、従来は人事院の試験が六五点以上の者を対象としていたが、今回はこの制限をはずし、学校の選別、身元調査も思想調査の関係から強化されることとなった。」旨を報告した。
(7) 東京税関当局は、昭和四二年一月当時、その独身寮毎の入寮者の組合所属関係を把握し、昭和四四年九月当時、全税関が、最新、最大の独身寮である品川寮(定員二三〇名、昭和四〇年度以降の新職員のほとんどが入寮している。当時の入居者一八八名)を組織拡大の目標として、昨年来、ビラ配付、デモ等で寮自治や共同闘争を呼びかけているが、現在のところ寮生でそれに呼応する動きは出ていないと認識していた。
(8) 昭和四二年三月三〇日に開催された東京税関の部長会議において、東京税関研修課長は、新職員の受入行事についてという議題に関し、「入関式に旧労がビラを配布するから研修教室に入場の際に回収したい。」旨発言した。
(9) 昭和四二年五月一日に開催された東京税関の部長会議において、新職員の配置の問題が議題とされ、新職員の職場配置をどのような方針で行うかについて事前に用意されたいくつかの案に基づき議論がなされたが、その案の一つに、「当関は、先の総務部長会議において示した方針のとおり、公務員倫理、服務規律の修得と税関の基本業務で理解が容易であることの理由により、警務関係の職場に優先配置を計画している。しかしながら、三五名の新職員を全員警務関係に配置することは、警務関係の定員及び職員構成等から考えて難しい。したがって、一部新職員については、旧労職員の影響等を考慮して配置する方針である。」との案があった。また、右部長会議において、新職員の受入れ後の取扱要領として、職場関係については、「職場指導官の人選については、各職場の七等級職員を中心に職務成績、人格、思想等を考慮して行う。」などの方針が、寮の関係については、「全員を品川寮に入居させる。先輩室長を各戸に配し、私生活全般について指導及び相談に応じさせる。寮生はすべて寮管理規則により規制を受ける。寮管理人(主として役付職員)を各階段の一階に入居させ、配偶者の協力により寮生の世話及び一切の相談に応ずるよう配慮している。また、必要に応じ両親等に連絡し、指導に遺憾なきを期し、寮生が健全な公務員として成長するよう努力させる。副管理人会議等を随時開催し、問題の発生を未然に防止するよう努力する。」との方針が説明された。
(10) 昭和四二年八月一六日に開催された東京税関の幹部会議において、職場レクリエーションとして行われる水泳大会に全税関に所属する職員を参加させるか否かが検討されたが、その際、東京税関次長は、「本省の考え方では旧労選手でも名選手がいる場合二、三名入れるのはやむを得ないと考えるとの回答だ。」と説明し、総務課長は、「差別してもよいのではないか。」と、総務部長は、「できるだけ排除方法をとるが、二、三名まぎれこんできた場合はやむを得ないだろう。」とそれぞれ発言した。
(11) 東京税関当局は、昭和四二年九月当時、職場のサークルの部門別に、これに参加している職員につき、その所属する労働組合を調査してその実態を把握した上、職場のサークルや職場レクリエーションのあり方につき検討した。その結果、昭和四二年九月二七日に開催された東京税関の幹部会議において、「旧労は、安い経費で若年層と知り合う機会を狙っている。旧労は、行事当日、思想的言動や労働拡大運動をやらない。しかし、知り合った若年層を後日喫茶店等へ誘い出す。」などの全税関に対する認識のもとに、「サークル部門の新、旧労組の構成比からみて、これを基礎としたレク行事には危険が伴う。具体的にいえば文化活動については、官として積極的に取り組まない。」などの方針が示された。その際、東京税関の厚生課長は、「旧労対策上、一般レクの文化的な行事として美術展は本年中は行わない考えである。新職員の希望調査をしたが、演劇とコーラスをやりたいとの希望が多い。しかし、現在のサークルは旧労分子が中心で活動しているので、二部制として、新しい演劇、コーラスのサークルを結成させることが必要と思う。」と、監察官は、「音楽隊は旧労分子の活動の場となってしまったので解散した。」とそれぞれ発言した。
(12) 昭和四三年四月二日に開催された東京税関の幹部会議において、大臣表彰についてという議題に関し、東京税関長が、「本省の表彰が、行為者の日常の行為が模範に足るものであることを基準にして該当者を選定していない限り、当関だけが基準を異にすることは問題を残すだろう。腹では旧労職員を表彰したくないが、永年勤続者表彰の場合は永年勤務の事実が充足すれば表彰しているから、本件だけを除外することは筋が通らぬだろう。」と発言した。また、昭和四三年七月ころ、東京税関当局内部において、密輸検挙者表彰に関して、功績得点が表彰基準に達している職員についても、他の職員の模範とするにすさわしくない行為のあった者は、その内容により表彰から除外する方向で検討された。
(三) 前記一1及び第二において認定したとおり、控訴人組合は、本件係争期間開始時以前においても、昭和三三年ころから賃金問題等のほかに安保反対、政暴法反対、警職法反対などの政治闘争に取り組むようになり、昭和三五年には三度にわたり安保改定阻止国民会議の安保改定反対統一行動の一環として、勤務時間内に食い込む早期職場集会を行い、その後も、労働条件の改善、政暴法、勤評粉砕等を掲げ、神戸税関当局の警告や執務命令を無視した勤務時間内に食い込む職場集会を強行したり、実力行使(座り込み、庁舎内のデモ行進等)を伴う闘争などを繰り返し行っていたものであり、また、本件係争期間開始時以後においても、後記のとおり、第一審原告組合員等は、神戸税関の庁舎等を無許可で使用した集会に参加しながら、当局の解散命令に従わず、また、プレートを着用するなどして執務し、当局から取り外すよう注意等されながらこれに従わないなどの非違行為を繰り返し行っていたものである〔控訴人大塚宏圀(第二回)、同田村芳春(原審)の各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、これらの第一審原告組合員等の行動は、控訴人組合の活動の一環としてなされたものであることが認められる。〕。そして、神戸税関以外の税関の全税関の各支部が、本件係争期間開始時の前後において採っていた組合活動の詳細については、これを明らかにするに足りる証拠はないものの、証人伊藤栄二、同田代一郎(原審、当審)の各証言及び弁論の全趣旨によれば、その根本的な活動方針は控訴人組合と同一であり、その活動の手段、方法は控訴人組合のそれと同様なものであったことを窺い知ることができる。
控訴人組合を含む全税関の右の組合活動を背景事情として、右(二)の(1)ないし(6)の認定事実をみると、これらの事実から、昭和四二、三年当時、関税局は、全税関の右のような組合活動を国家公務員法に定められている服務規律に違反し、税関の業務の正常な執行を阻害する活動であるとみて、これを是正、排除すべきものであるとの考えに立ち、そのための方策として、税関職員服制細則等の制定を検討したり((二)(2))、初級職試験合格者の採用についての指針を示したりし、((二)(6))、また、そのために採るべきより効果的方策を検討するため、その主催した全国税関長会議や全国税関総務部長会議において、非違行為を行った者に対する昇給、昇格等に関する処遇、新採用職員の配置、研修等のあり方、昇任の遅れている職員の処遇などを議題として取り上げたこと((二)(1)、(3)ないし(5))を推認することができる。
しかしながら、第一審原告組合員等を含む全国の各税関の全税関に所属する組合員が非違行為を繰り返し行っていた状況の下において、関税局及び全国の税関当局が、これを是正、排除するための方策を検討し、実施すること自体は、至極当然のことであって何ら違法でも不当でもないというべきであるから、関税局及び全国の税関当局が全税関に所属する組合員が非違行為を繰り返し行うことを是正、排除するための方策を検討し、実施したことのみによって、関税局及び全国の税関当局に全税関に所属する組合員を差別して取り扱う意思があったものと推認することはできない。もっとも、全税関に所属する組合員を全税関に所属していることや正当な組合活動をしたことを理由に差別扱いすることなどを内容とする方策を実施することが許されないことはいうまでもないことであるから、この観点から右(二)の(1)ないし(6)の事実を個別的に検討しておく。
① (二)(1)①の事実について
非違行為をした者等について、いかなる場合に八等級から七等級への昇格に差別をつけるかに関する各税関の意見であることが窺えるが、その中に、全税関に所属する職員を全税関に所属していることや正当な組合活動をしたことを理由に差別扱いすべきであるとの点は見当たらない。
なお、前記のとおり、「勤務成績が良好であることが明らかでなければならないこと」が昇格の要件の一つであることから、昇格につき非違行為をした者を劣位に処遇することは、何ら違法でも不当でもない。
② (二)(1)②について
八等級職員に対しては特別昇給を行わない方針を打ち出したものであって、全税関所属の職員だけを対象としたものでないことは明らかである。
③ (二)(1)③について
非違行為をした者等に対する勤勉手当の減額の割合についての関税局の検討方針と各税関の意見であることが窺えるが、その中に、全税関に所属する職員を全税関に所属していることや正当な組合活動をしたことを理由に差別扱いすべきであるとの点は見当たらない。
④ (二)(1)④について
新採用職員の受け入れ体制についての大阪税関の意見であるが、その意見は、全税関所属の職員による新採用職員への影響力を極力排除すべきであるとの観点も考慮されて形成されたことが窺える。
⑤ (二)(1)⑤について
税関の労務対策についての東京税関の意見であるが、それがいかなる内容の労務対策をすべきであるとしているのかまでは明らかでない。
⑥ (二)(1)⑥について
税関労組(第二組合)の動静についての関税局の見方を明らかにしたものであり、全税関に対する関係のものではない。
⑦ (二)(2)について
関税局は、税関職員、特に全税関に所属する職員が、制服を着用したまま早朝ビラまきを行い、昼休みに職場集会に参加し、プラカードをもって行進するなどの行為を行うことを規制する目的の下に、税関職員服制細則等の制定を検討したものであるところ、税関職員には、その職務を遂行するために制服を必要とする(税関職員は、関税法一〇五条二項により同条一項の強制力を伴う権限を行使する場合には、制服の着用を義務づけられている。)ことからこれが貸与されているものであることに鑑みると、税関職員が制服を着用してその職務の遂行から著しく逸脱した行為を公衆の面前で行うこと(前記早朝ビラまきを行ったり、プラカードをもって行進したりする行為はこれに該当する。)は好ましくないという考えにも合理性があり、これを規制しようと検討することが、直ちに、全税関に所属する職員を全税関に所属していることや正当な組合活動をしたことを理由に差別扱いすることに結び付くものであるとはいえない(なお、右検討の結果、右の点についての規制が実施されたことを認めるに足りる証拠はない。)。
⑧ (二)(3)①について
昇任が遅れている全税関所属の職員の処遇についての税関長の一人の意見とこれに対する関税局の批判であるが、その中に、全税関に所属する職員を全税関に所属していることや正当な組合活動をしたことを理由に差別扱いすべきであるとの点は見当たらない。
⑨ (二)(3)②について
全税関と第二組合に対する東京税関長の認識を示すものであり、東京税関長は、全税関を嫌悪し、第二組合を育成すべきものと考えていたことが窺える。
⑩ (二)(4)①について
横浜税関長は、全税関の新採用職員に対する影響を排除すべきであるとの見解に立ち、そのためには新採用職員の基礎研修が効果的であるとの認識の下に、官房長に対し、新採用職員に対する基礎研修の実施を要望したものであることが窺える。
⑪ (二)(4)②について
財務調査官のあいさつの中に、全税関に所属する職員を全税関に所属していることや正当な組合活動をしたことを理由に差別扱いすべきであるとの点は見当たらない。
⑫ (二)(5)について
東京税関長は、非違行為をした者等については、そうでないものよりも、給与上不利益に取り扱うべきであるとの見地に立ち、その方法としては、勤勉手当の減額よりも効果の大きい昇給延伸の方を採るべきであるとの意見を表明したものであることが窺える。しかし、右意見が、全税関に所属する職員を全税関に所属していることや正当な組合活動をしたことを理由に差別扱いすべきであるとするものでないことは明らかである。
⑬ (二)(6)について
関税局は、昭和四三年度初級職試験合格者の採用については、全税関の勢力拡大を阻止する見地から、思想面を重視した採用方針を採っていたことが窺われる。
右検討したところによると、関税局は、新採用職員に対する全税関の影響力を極力排除する方向で、昭和四三年度初級職試験合格者の採用方針を採り(⑬)、また、全国の税関の中には、右方向で新採用職員の研修及び職場配置を検討すべきであるとの意見を表明したところ(④⑩、ただし、これらの点に関し、結論的に具体的な方針が決定されたか否か、されたとしていかなる内容の方針であったか、それは全国の税関に統一的なものであったかについては、いずれも証拠上明らかでない。)や全税関を嫌悪し、第二組合を育成すべきであるとの考え方に立っていることが窺えるところ(⑨)もあるものの、これらは、いずれも、全税関所属の組合員が、全税関の活動方針に基づき、組合活動を逸脱した非違行為を繰り返し行っていたことに対し、当局側がこれを是正、排除するための方策を種々検討し、模索する過程でなされたものという側面を有することを考慮せざるを得ないのであって、そのことだけで、関税局及び神戸税関を含む全国の各税関当局が、昭和四二、三年当時、全税関に所属する職員を全税関に所属していることや正当な組合活動をしたことを理由に差別扱いする旨の統一的な方針を有していたことまでを推認することは未だできないといわざるを得ず、右検討結果中他にこれを裏付ける足りる事情は見出せない。
なお、(二)(7)ないし(12)の事実を総合すると、東京税関当局は、昭和四二年当時、新採用職員をはじめとする若年層の職員に対する全税関の影響力を極力排除するため、新採用職員の研修及び職場配置、独身寮、サークル活動並びに職場レクリエーションの在り方につき様々な方策を検討、実施し、昭和四三年には、他の職員の模範とするにふさわしくない行為のあった者を、その内容により表彰から除外する方向で検討するなどしたことが窺われるが、これらはいずれも東京税関におけるものであり、神戸税関を含む全国の税関においても同一の方策が検討、実施されていたことを認めるに足りる証拠はない(なお、前記のとおり、東京税関総務部長は、昭和四二年当時、全国の税関総務部長会議において、労務対策は各関一律のやり方を強いるのはおかしい旨発言している。)から、東京税関の右検討、実施した方策の内容を個別的に検討するまでもなく、これらの事実によって、神戸税関当局が、昭和四二、三年当時、控訴人組合に所属する職員を控訴人組合に所属していることや正当な組合活動をしたことを理由に差別扱いする方針を有していたことまでもが裏付けられたことにはならない。
2 関税局文書について
(一) 文書の成立
控訴人らは、関税局が作成した全国の税関人事課長会議関係資料の写しであるとして甲第二四九号証の一ないし一〇を、全国の税関長会議・税関総務部長会議の関係資料の写しであるとして甲第二四九号証の一一ないし一六を、全国の税関長会議・税関総務部長会議の関係資料であるとして甲第二六七ないし二六九号証を提出した(弁論の全趣旨によれば、その各原本は、正森成二衆議院議員が保管していると認められる。)。ところで、正森成二衆議院議員が右各文書を入手した経路は、証拠上全く不明であるが、この点を考慮しても、右各文書は、いずれもその形式、記載内容、人事極秘、人事秘などの取扱基準を示す押印の存在、大蔵省の用紙であることを示す記載の存在等からして、関税局が作成した文書とみても不自然ではないこと、被控訴人は、関税局及び各税関が調査しても右各文書の存在が確認できなかったというにとどまり、特にこれらが偽造されたものである旨の主張はしていないことからすると、右各文書は、関税局が作成したものであると認められる。
なお、甲第二四九号証の五と同号証の六は、その形式上、一体をなす二枚綴りの文書であり、その一枚目(同号証の五)には、「議題3 特定職員の上席官昇任及び7級格付等について」という文書の表題及び「(1) 上席官昇任」という見出しとそれについての具体的討議事項が記載され、二枚目(同号証の六)には、最初に、「(2) 7級格付」という見出しとそれについての具体的討議事項が、次いで、「(3) 4、5、6級格付」という見出しとそれについての具体的討議事項が記載されているところ、右「(3) 4、5、6級格付」欄の記載部分は、文書の表題に直接掲げられていないこと、それ以外の部分と筆跡が異なること、その記載部分の用紙の罫線とその直前部分の用紙の罫線との間に連続性が欠けていることなどからして、それ以外の部分との一体性に問題があるとみる余地もないではないが、文書の表題には、前記のとおり、「特定職員の上席官昇任及び7級格付」の次に「等」が付されており、このことは、右文書がむしろ討議事項として上席官昇任及び7級格付以外の事項をも記載するものであることを窺わせること、行政官庁において、複数の者が事項ごとに文書の起案を担当し、その各起案をまとめて一つの文書とする(継ぎ貼りした上コピーする。)ことは稀でないと考えられるから、一つの文書に異なる筆跡の記載が混在し、また、用紙の連続性が欠けていることも特別不自然とはいえないことに鑑みると、右「(3) 4、5、6級格付」欄の記載部分もその余の部分と一体の文書として関税局が作成したものであると認めるべきである。
(二) 右各書証及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。
(1) 昭和五八年一〇月に、全国の税関総務部長会議が、昭和五九年二月に、全国の税関長会議が、同年三月に、全国の税関総務部長会議が、いずれも「当面の人事管理上の諸問題について」協議するため、関税局の主催で開かれた。
(2) 昭和六一年三月一九、二〇日の両日、全国の税関総務部長会議が、関税局の主催で開かれた。右会議において、議題の一つである「上席官昇任及び七級昇格」については、全税関に所属していない職員についての運用とは別に全税関に所属する職員についての運用が協議された(なお、関税局及び全国の各税関当局内部において、その当時、全税関に所属していない職員を一般職員と呼び、全税関に所属する職員を特定職員と呼んでいた。)。その協議に際し、上席官昇任に関しては、五〇歳以上の特定職員のほとんどの者は、上席官昇任の資格基準表の要件を満たしており、また、一般職員の上席官への任用及び職場での上席官の運用実態並びに特定職員の年齢構成等から、現状(六〇年任用六人、占有ポスト九)程度では、対内外ともに説明が難しいとの認識の下に、仮に、欠格条項に該当する者を除く全員を昇格させたとしても占有ポスト数は七〇名から八〇名位であり、全上席官数の一割にも満たないので、上席官任用は可能であろうという意見と、一般職員との均衡上(上席官未昇任者の存在)及び特定職員に対する上席官運用の継続性からも、少なくとも二六年次を中心とする年齢構成層については、上席官昇任に当たって絞りをかけ選考すべきであるとの意見が出た。また、七級昇格に関しては、七級は従来の四等級でもあり、上席官は基本的には七級であるという職員感情から、上席官であれば退職時までには七級に格付すべきであるという意見と一般職員との均衡から選考を行うべきであるとする意見が出た。
(3) 昭和六一年四月一〇日、一一日に、全国の税関人事課長会議が、関税局の主催で開かれた。右会議において、議題の一つとして、「特定職員の上席官昇任及び七級昇格について」が取り上げられたが、関税局が昭和六一年三月三一日付で作成したそれに関する討議資料には、先般の総務部長会議における討議を踏え、六一年度の上席官昇任及び七級昇格基準等について討議するとして、次の記載がある。
「(1) 上席官昇任
① 上席官への昇任は、欠格条項に該当する者以外はその全員を昇任させるとする考え方、他方一般職員でも専門官のままでの退職があり得る現状においては、昇任時に選考を行うべきであるとする考え方がある。これらの考え方についてどうか。
② 上席官昇任の選考対象は年令、在級とも若干拡げ、前広に選考すべきであるとする考え方もあるが、あまり昇任時の年令を下げると選考対象者が著しく増加すること、退職時までの配置ポストとの絡み(経験させるポスト数)、8級昇格への期待感の増幅等が考えられるところから、前年度基準(55歳かつ在級6年)のままで運用することについてはどうか。
③ 上記①の前段の考え方を踏え、任用数は60年度の任用数(6人、占有9ポスト)の5割増程度(9人〜10人、占有15〜16ポスト)とすることについてはどうか。仮に、特定職員の年令構成等からみて更に増やすとした場合、任用数の上限はどの程度が適当と考えるか。
④ 選考基準及び任用数等について、上記以外に意見があれば予め報告を求め討議する。
(2) 7級格付
① 一般職員の昇格との均衡上、上席官在任2年以上の者とすることについてどうか。この場合、上席官昇任の上限年令はどのように考えるのか。
② 在任期間に関係なく、退職前1〜2年前に昇格させることについてはどうか。
(3) 4、5、6級格付
4、5、6級における一般職員と特定職員の昇格時期については、勤務成績が一般職員と比べて遜色のない特定職員は超一選抜として一般の最終選抜に重ね、さらに優れている者は一般の第三選抜に重ねることとすることを確認事項としてよいか。なお、杓子定規に運用するものでないことに留意する。」
(三) 右認定事実に基づき検討する。
関税局は、全国の各税関に共通する人事管理上の諸問題については、適宜、税関長会議、税関総務部長会議、税関人事課長会議を開催して協議していたところ、昭和六一年当時の税関総務部長会議において、全税関に所属する職員の上席官昇任及び七級昇格の問題が議題の一つとして取り上げられ、税関人事課長会議においては、右に加えて、全税関に所属する職員の四、五、六級昇格の問題も議題の一つとして取り上げられたことは明らかである。そして、そのうち上席官昇任が取り上げられたのは、その当時、全税関に所属する職員の上席官への昇任が、全税関に所属していない職員の上席官への任用及び職場での上席官の運用実態並びに全税関に所属する職員の年齢構成等からみても説明が困難な程度に遅れている状況にあり、これを是正するためには、全税関に所属する職員についての特別な上席官への昇任基準を検討する必要があったためであることが窺える。しかしながら、右の点についての検討自体は、全税関に所属する職員の上席官への昇任の遅れを是正する方策についてであって、全税関に所属する職員を不利に取り扱おうとするものでない上、関税局文書によっても、昭和六一年当時までに全税関に所属する職員の上席官昇任が遅れるに至った事情を説らかにすることはできず、ましてや、それ以前において、全税関に所属する職員の上席官昇任についてそれ以外の職員とは別のより不利な昇任基準が設けられ、それに基づく運用がなされていたことを認めるに足りない。また、七級昇格及び四、五、六級昇格が議題の一つとして取り上げられたのは、この点に関する全税関に所属していない職員についての運用基準とは別の全税関に所属する職員についてだけの運用基準を検討するためであり、その検討事項及び内容からして、そこからは、この点につき全税関に所属する職員をそれ以外の職員より不利に取り扱おうとする関税局の意向を看取することができるものの、関税局文書によっても、この点についての昭和六一年度の方策として、関税局及び全国の各税関において結論的にいかなる方策が決定、実施されたか、それ以前のこの点についての方策がどのようなものであったかを明らかにすることはできない。
右の検討に加えて、本件係争期間の終期は昭和六一年よりも一二年も前であり、その始期にいたっては二三年も前であることに鑑みると、関税局文書によって認められる事実によって、関税局及び神戸税関を含む全国の各税関当局が、本件係争期間中から、全税関に所属する職員を全税関に所属していることや正当な組合活動をしたことを理由に差別扱いする旨の統一的な方針を有していたことまでを推認することは、到底できないというべきである。
第六 第一審原告組合員等の個別的な格差の程度及び勤務成績等について
一 はじめに
後記三において判示する第一審原告組合員等の個別的な給与格差の程度は、主として、前記第三の三1及び2記載の第一審原告組合員等各自の昇任、昇格、昇給の推移等とその者と同年同資格で入関した非組合員の昇任、昇格、昇給の推移等とを個別的に比較対照して、第一審原告組合員等が本件係争期間開始時及び本件係争期間終了時において、同年同資格で入関した非組合員と比較してどの程度の処遇を受けていたかを検討したものであるが、非組合員の昭和四四年以降の正確な等級の推移及び本件係争期間終了時における正確な等級号棒は、前記のとおり、これを明らかにすることができないこと、昇任年は明らかにできるが、同じ昇任年であっても時期に相異があること、したがって推測できる昇格年も相当な幅があり得ると考えられること、比較対照すべき同年同資格で入関した非組合員がいないか、いてもごく少数にすぎない場合もあることなどの事情が存在するので、給与格差についての右検討の結果は、厳格なものとはいえず、おおよその傾向を示すにすぎないものである。
また、非組合員の本件係争期間中の勤務実績や能力等を明らかにするに足りる証拠はなく、第一審原告組合員等の本件係争期間中の勤務成績に関する事情(本件係争期間中の最終の昇給期である昭和四九年一月一日より前のもの)として、後記三のとおり、非違行為の存在及び出勤状況が認められるが、その余の勤務実績や能力等がどの程度であるかを認めるに足りる適確な証拠はない〔なお、控訴人組合員等(ただし、控訴人塩田静夫、同小林霞、同大屋広隆、同植田邦彦、同奥田康雄、同坂本柏、同榎本和行、同越塚健、同加藤木良和、同舛本清、同下前春生、同岸本宏、同池西光輝、同岡崎悦造、同山野陽通、同寺岡洋、同乾正明、同西村彦三郎、同山本昌文、同沢井庸晃、同脇岡秀年、服部正治、坂本檀、小松正諦を除く。)が当審において提出した各陳述書(甲第五七六ないし六四六号証、第六五三ないし六八五号証、以上の各書証は弁論の全趣旨によって成立を認める。)には、右の控訴人組合員等はいずれも、本件係争期間中その職務に精励し、勤務実績や能力等において他の職員に劣るところはなかった旨が記載されているものの、これらは右の控訴人組合員等の自己の勤務態度や成績に関する主観的認識を記載したにすぎないものであって、これがその当時における右の控訴人組合員等の勤務実績や能力等を評価する立場にあった上司の認識と食違うことも当然あり得ることであるから、右各書証の記載によって、右の控訴人組合員等の勤務成績(前記の非違行為の存在及び出勤状況を除く。)が他の職員に劣るものではなかったことが認められることになるとはいえない。〕。
二 書証の成立等
1 格差の程度欄における認定に供した各書証について
後記の第一審原告組合員等の各格差の程度欄における認定に供した各書証のうち、乙第九二号証の一、二は成立に争いがなく、その余は前掲のものである。
2 非違行為欄における認定に供した各書証について
昇任八代儀一、同大西昭三、同近藤悟、同嶋津久雄、同稲田虎義の各証言及び弁論の全趣旨によれば、後記の第一審原告組合員等の各非違行為欄における認定に供した各書証のうち、文章の一部に空白部分のあるものは、いずれも税関訟務官が、神戸税関の管理職員が控訴人組合の組合員の言動等を現認した結果を上司に報告するために作成した各文書(原文書)に基づき、その一部の記載(原審において原告とならなかった職員の氏名等)を隠してコピーする方法で作成した原文書の写し(新文書)であることが認められる。なお、控訴人らは、このような新文書には証拠能力が認められるべきではなく、また、原文書と同等の証拠価値が存するとはいえない旨主張するが、民訴法上新文書の証拠能力を否定する根拠は見出し難いし、また、右認定の新文書の作成方法からすると、新文書は、第一審原告組合員等の言動等に関する限り、原文書と同等の証拠価値を有するといえる。
後記の第一審原告組合員等の各非違行為欄の認定に供した各書証のうち、その余(ただし、成立につき個別的に判断を示したものを除く。)は、いずれもその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したことが認められるから、真正な公文書と推定される。
3 出勤状況欄における認定に供した各書証について
後記の第一審原告組合員等の各出勤状況欄における認定に供した各書証のうち、乙第三三二七号証は、弁論の全趣旨によって成立を認め、出勤簿と題するもの(乙第三三三〇号証から第三七六九号証までのもの)は、いずれもその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したことが認められるから、真正な公文書と推定され、その余(ただし、成立につき個別的に判断を示したものを除く。)は前掲のものである。
三 給与格差の程度及び非違行為等
当裁判所の第一審原告組合員等の個別的な給与格差の程度及び非違行為等についての認定、判断は、次のとおり(頁数は原判決の頁数を示す。)訂正、付加、削除するほか、この点についての原判決の認定、判断〔原判決三二九頁四行目(ただし、同行目の「4」を削除する)から同七七四頁一行目まで〕のとおりであるから、これを引用する。
1 三二九頁六行目冒頭から三三〇頁四行目の「右乙号証によれば」までを「昭和二四年に高校卒業の資格で入関した稲松斉は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和二四年旧中、高校組の非組合員四八名のうちの三九名と同じ六等級五号棒(以下「六―五」のように表記する。)であり(それより上位の者一名、下位の者八名)、主任相当職に昇任したのが、二二名と同じ昭和四一年であり(それより早く昇任した者一八名、遅く昇任した者八名)、本件係争期間中に一回特別昇給しているが、五等級に昇格したのは昭和四七年であって(乙第三一八四号証によれば、同年二月一日に六―一四から昇格したことが認められ、乙第九二号証の一、二によれば、その当時、六―一四は双子号棒の下位号棒であることが認められる。)、昭和四三年までに昇格したことが明らかな四一名との間では四年以上遅れている(なお、その余の七名のうち昭和四五年までに主任相当職に昇任した二名も、稲松斉に先立って五等級に昇格したと考えられる。)そうすると、稲松斉は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員のうちの中位の処遇を受けている者と同程度の処遇を受けていたが、五等級への昇格が遅れたことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(五―一三)は、右の非組合員のうちの多くの者より劣るものであったことが窺える。しかし、乙第三一八四号証によれば」と、同頁六行目の「なとなる」を「なる」とそれぞれ改める。
2 三三一頁九行目冒頭から三三二頁一行目の「低くなる。」までを「昭和二四年に旧制中学卒業の資格で入関した控訴人塩田静夫は、本件係争期間開始時における等級号棒が稲松斉と同じ六―五であったが、主任相当職に昇任したのは昭和四六年であり(昭和二四年旧中、高校組の非組合員四八名のうちの四〇名が昭和四一年までに昇任し、その余の八名のうち四名が昭和四五年までに昇任している。)、五等級に昇格したのは稲松斉と同じ昭和四七年である(乙第三一八五号証によれば、同年七月一日に六―一五から昇格したことが認められ、乙第九二号証の一、二によれば、その当時、六―一五は双子号棒の上位号棒であることが認められる。)。そうすると、控訴人塩田静夫は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員のうちの中位の処遇を受けている者と同程度の処遇を受けていたが、主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(五―一二)は、右の非組合員のうちの最も劣位の者よりは上であるが、これに近いものであることが窺える。」と改める。
3 三三四頁一行目から二行目にかけての「昭和四八年」を「昭和四七年」と改める。
4 三三四頁七行目から三三五頁四行目までを次のとおり改める。
「控訴人塩田静夫と同年同資格で入関した橋爪武司は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和二四年旧中、高校組の非組合員四八名のうちの最も低い七―六よりも更に低い七―五であり(乙第三一八六号証及び弁論の全趣旨によれば、橋爪武司は、本件係争期間開始時より前に、長期病気休暇により普通昇給が三九か月延伸されたことが認められる。)、主任相当職に昇任したのが昭和四八年であり(右の非組合員のうち昭和四八年に昇任したのは一名であり、それより遅く昇任したものは昭和五〇年の一名しかいない。)、五等級に昇格したのは昭和四九年(本件係争期間終了時の後)である(右の非組合員のうちそれより遅く五等級に昇格した者は一、二名しかいないと考えられる。)。そうすると、橋爪武司は、給与上、本件係争期間開始時において既に、右の非組合員のうちの最下位の処遇を受けている者以下の処遇を受けていたが、その後も右の非組合員のほとんどの者らり主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―一三)は、右の非組合員のうちの最も劣位の者と同程度であることが窺える。」
5 三三八頁一二行目の「勤務状況」を「出勤状況」と改める。
6 三三九頁一一行目から三四〇頁八行目までを次のとおり改める。
「昭和二五年に五級職の資格で大阪財務部に採用された山崎吉彦(昭和二六年入関)は、本件係争期間開始時における等級が、昭和二五年五級組の非組合員九名のうちの四名と同じ六等級であり(その余の五名は既に五等級になっていた。なお、乙第三一八七号証及び弁論の全趣旨によれば、山崎吉彦は、本件係争期間開始時より前に、長期病気休暇により普通昇給が二一か月延伸されたことが認められるので、その号棒は、同じ六等級の非組合員の者よりも低位にあったことが窺える。)、主任相当職に昇任したのが昭和四七年、五等級に昇格したのは昭和四八年であり(乙第三一八七号証によれば、同年七月一日に六―一五から昇格したことが認められ、乙第九二号証の一、二によれば、その当時、六―一五は双子号棒の上位号棒であることが認められる。)、昭和四二年までには全員が五等級に、本件係争期間終了時までには八名が四等級以上に昇格した右の非組合員に比較し、昇任、昇格に五年以上の遅れがある。そうすると、山崎吉彦は、給与上、本件係争期間開始時において既に、右の非組合員よりも劣位の処遇を受けていたが、その後も主任、課長相当職への昇任や五、四等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(五―一二)は、右の非組合員全員より相当低いといえる。」
7 三四三頁九行目から三四四頁三行目までを次のとおり改める。
「昭和二五年に高校卒業の資格で高松財務部に採用された控訴人小林霞(昭和二六年入関)は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和二五年高校組の非組合員五五名のうちの五〇名と同じ七―七であったが(それより上位の者二名、下位の者三名)、主任相当職に昇任したのは、右の非組合員のうち最も主任相当職への昇任が遅かった者より三年遅い昭和四八年であり、五等級に昇格したのは、右の非組合員のうち最も五等級への昇格が遅かった者より二、三年程度は遅いと考えられる昭和四九年である(乙第三一八八号証によれば、同年一月一日に六―一四から昇格したことが認められ、乙第九二号証の一、二によれば、その当時、六―一四は双子号棒の下位号棒であることが認められる。)。そうすると、控訴人小林霞は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員のうちの中位の処遇を受けている者と同程度の処遇を受けていたが、主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(五―一一)は、右の非組合員全員より相当低いことが窺える。」
8 三四五頁二行目の「前記五」を「前記第五の一」と改め、同頁九行目の「第一〇五八号証」の次の「号証」を削除し、同頁一二行目から末行にかけての「第一八五八号証」の次に「の一、二」を加え、三四六頁二行目の「一二月五日」を「一二月一五日」と改める。
9 三五一頁四行目の「石見宣夫」を「石見宜夫」と改め、同頁六行目から同頁一一行目までを次のとおり改める。
「控訴人小林霞と同年同資格で入関した控訴人石見宜夫の本件係争期間開始時及び本件係争期間終了時における各等級号棒は、控訴人小林霞と同じであるので、控訴人石見宜夫の本件係争期間開始時及び本件係争期間終了時における非組合員との給与上の格差の程度は、控訴人小林霞と同じである(このように、本件係争期間中の昇任、昇格の時期が異なっていても、本件係争期間終了時における等級号棒が同一であるため、非組合員との格差が同一であるといえる場合には、以下「控訴人小林霞に同じ。」のように記載し、本件係争期間開始時における等級号棒に差異がある場合には、その旨を指摘する。)。」
10 三五三頁六行目の「乙」の次に「第三一八九号証、」を加える。
11 三五五頁二行目の「第九一四号証、」の次に「九七二号証の一、」を加える。
12 三五七頁四行目の「(ただし、五等級昇格は昭和四八年七月」」を削除する。
13 三五七頁六行目の「第六七九号」を「第六七九号証」と、三五八頁四行目の「45年10月13日」を「45年10月23日」とそれぞれ改める。
14 三五九頁六行目から三六〇頁目二行目までを次のとおり改める。
「控訴人小林霞と同年同資格で入関した横江威の本件係争期間終了時における等級号棒は、六―一四であったのであるから、横江威のその当時の非組合員との給与上の格差の程度は、控訴人小林霞より更に大きかったといえる。なお、横江威の本件係争期間開始時における等級号棒は控訴人小林霞と同じであり、乙第三一九二号証によれば、横江威は、本件係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。」
15 三六二頁七行目の「(3)」を「(3)」と改める。
16 三六九頁一〇行目の「認められ、」から一二行目末尾までを「認められる。控訴人大塚宏圀の本件係争期間開始時における等級号棒は昭和二五年高校組の非組合員の大多数の者より低い七―六であるが、それは、右の普通昇給の延伸が原因であると考えられる。」と改める。
17 三七二頁六行目冒頭から同頁九行目の「生じている。」までを「昭和二五年に中学卒業(高校中退)の資格で入関した桶谷孝史は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和二五年中学組の非組合員四名(七―四)より低い七―三であり、しかも、右の非組合員は、昭和四七年までに主任相当職に昇任し、その後二年後位までには五等級に昇格したと考えられるのに、昭和五四年四月一日現在未昇任、未昇格である。そうすると、桶谷孝史は、給与上、本件係争期間開始時においても既に、右の非組合員全員より一号棒低い処遇を受けていたが、その後の主任相当職への昇任や五等級への昇格がなかったこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―九)は、右の非組合員全員より極めて低いといえる。」と改め、同頁一一行目の「しかも、」から三七三頁一行目末尾までを削除する。
18 三七三頁一二行目の「乙」の次に「第三一九五号証、」を加える。
19 三七五頁七行目から同頁一二行目までを次のとおり改める。
「桶谷孝史と同年同資格で入関した控訴人今村奈智子は、本件係争期間開始時における等級号棒が、桶谷孝史と同じであり、しかも、昭和二五年中学組の非組合員より三年以上遅れて本件係争期間終了時より後の昭和五〇年に主任相当職に昇任し、昭和五一年に五等級に昇格したにすぎない。そうすると、控訴人今村奈智子は、給与上、本件係争期間開始時においても既に、右の非組合員全員より一号棒低い処遇を受けていたが、その後の主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―一一)は、右の非組合員全員より相当低いことが窺える。」
20 三七七頁九行目の「乙」の次に「第三一九六号証、」を加える。
21 三七八頁五行目から三七九頁四行目までを次のとおり改める。
「昭和二六年に六級職の資格で入関した服部正治は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和二六年六級組の非組合員一八名全員(四等級が五名、五―五が一三名)より低い五―四であり(乙第三一九七号証及び弁論の全趣旨によれば、服部正治は、本件係争期間開始時より前に、長期病気休暇や懲戒処分として減給処分を受けたことにより普通昇給が延伸されたことが認められる。)、四等級に昇格したのは右の非組合員の最も遅い者より五年遅い昭和四七年である。そうすると、服部正治は、給与上、本件係争期間開始時において既に、右の非組合員全員より低い処遇を受けていたが、その後も右の非組合員全員より大幅に昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(四―一一)は、右の非組合員全員より極めて低いといえる。」
22 三八一頁末行の「乙」の次に「第三一九七号証、」を加える。
23 三八二頁七行目から三八三頁三行目までを次のとおり改める。
「昭和二六年に五級職の資格で入関した控訴人鷲見重信は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和二六年五級組の非組合員一二名全員(六―七が一名、六―六が一一名)より低い六―五であり(乙第三一九八号証及び弁論の全趣旨によれば、控訴人鷲見重信は、本件係争期間開始時より前に、長期病気休暇により一五か月普通昇給が延伸されたことが認められる。)、主任相当職に昇任したのは右の非組合員の最も遅い者(ただし、不明の一名を除く。)より五年遅い昭和四七年であり、五等級に昇格したのは右の非組合員の最も遅い者より五年遅い昭和四八年である(乙第三一九八号証によれば、同年七月一〇日に六―一四から昇格したことが認められ、乙第九二号証の一、二によれば、その当時、六―一四は双子号棒の下位号棒であることが認められる。)。そうすると、控訴人鷲見重信は、給与上、本件係争期間開始時において既に、右の非組合員全員より低い処遇を受けていたが、その後も右の非組合員全員より大幅に主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(五―一一)は、右の非組合員全員より相当低いことが窺える。」
24 三八四頁六行目の「乙」の次に「第三一九八号証、」を加え、同頁八行目の「五月一〇日」を「五月九日」と改める。
25 三八五頁二行目から同頁八行目までを次のとおり改める。
「控訴人鷲見重信と同年同資格で入関した控訴人室屋修は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和二六年五級組の非組合員のうちの一一名と同じ六―六であったが、主任相当職への昇任と五等級への昇格の年は、控訴人鷲見重信のそれと同じである(乙第三一九九号証によれば、昭和四八年二月一日に六―一六から昇格したことが認められ、乙第九二号証の一、二によれば、その当時、六―一六は双子号棒の下位号棒であることが認められる。)。そうすると、控訴人室屋修は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員のうちの平均的な処遇を受けている者と同程度の処遇を受けていたが、その後右の非組合員全員より大幅に主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(五―一二)は、右の非組合員全員より相当低いことが窺える。」
26 三八七頁一一行目の「42年」を「43年」と改める。
27 三八八頁九行目から三八九頁一行目までを次のとおり改める。
「昭和二六年に旧制専門学校卒業の資格で入関した控訴人能勢和彦は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和二六年旧専組の非組合員一名と同じ六―五であったが、主任相当職に昇任したのは右の非組合員より五年遅い昭和四七年であり、五等級に昇格したのは右の非組合員より四年程度遅いと考えられる昭和四八年である(乙第三二〇〇号証の一、二によれば、同年七月一〇日に六―一五から昇格したことが認められ、その当時、六―一五が双子号棒の上位号棒であることは、前記のとおりである。)。そうすると、控訴人能勢和彦は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員より大幅に主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、本件係争期間終了時における処遇(五―一一)は、右の非組合員より相当低いとことが窺える。」
28 三九〇頁一二行目の「わったて」を「わたって」と改め、三九一頁七行目の「原告橋爪の」の次に「(3)」を加える。
29 三九一頁一一行目から三九二頁九行目までを次のとおり改める。
「昭和二六年に高校卒業の資格で入関した控訴人岩根晟は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和二六年高校組の非組合員一二〇名のうちの三名と同じ七―四であり(右の非組合員のうちこれより下位の者はいない。乙第三二〇一号証及び弁論の全趣旨によれば、控訴人岩根晟は、本件係争期間開始時より前に、長期病気休暇により普通昇給が合計三三か月延伸されたことが認められる。)、主任相当職に昇任したのは右の非組合員のうちの最も遅い者より二年遅い昭和四八年であり、五等級に昇格したのは右の非組合員のうちの最も遅い者より一、二年程度遅いと考えられる昭和四九年(本件係争期間終了時より後)である。そうすると、控訴人岩根晟は、給与上、本件係争期間開始時において既に、右の非組合員の大多数の者より低い処遇を受けていたが、その後も右の非組合員全員より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―一二)は、右の非組合員全員より極めて低いことが窺える。」
30 三九二頁一一行目から一二行目にかけての「第三〇四」の次に「号証」を、同頁末行の「第五一七号証」の次に「の」を、同頁末行から三九三頁一行目にかけての「第六七九号証」の次に「の」をそれぞれ加える。
31 三九五頁末行から三九六頁九行目までを次のとおり改める。
「控訴人岩根晟と同年同資格で入関した控訴人植田邦彦は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和二六年高校組の非組合員のうちの一〇五名と同じ七―六であり(これより上位の者六名、下位の者九名。)、本件係争期間中に一度特別昇給したが、主任相当職に昇任したのは右の非組合員のうちの最も遅い者より二年遅い昭和四八年であり、五等級に昇格したのは右の非組合員のうちの最も遅い者より一、二年程度遅いと考えられる昭和四九年である(乙第三二〇二号証によれば、同年一月一日に六等級一四号棒から昇格したことが認められ、その当時、六―一四が双子号棒の下位号棒であることは、前記のとおりである。)。そうすると、控訴人植田邦彦は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員の多くの者と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員全員より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(五―一一)は、右の非組合員全員よりやや低いことが窺える。」
32 三九八頁九行目の「三三九六号証」を「三四〇〇号証」と改める。
33 三九九頁三行目から同頁一二行目までを次のとおり改める。
「控訴人岩根晟と同年同資格で入関した牛込尹人は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和二六年高校組の非組合員のうちの六名と同じ七―五であり(これより上位の者一一一名、下位の者三名。乙第三二〇三号証及び弁論の全趣旨によれば、牛込尹人は、本件係争期間開始時より前に、長期病気休暇により二四か月普通昇給が延伸されたことが認められる。)、主任相当職への昇任や五等級への昇格の年は、控訴人岩根晟と同じである。そうすると、牛込尹人は、給与上、本件係争期間開始時において既に、右の非組合員の大多数の者より低い処遇を受けていたが、その後も右の非組合員全員より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―一三)は、右の非組合員全員より相当低いことが窺える。」
34 四〇一頁一一行目から四〇二頁三行目までを次のとおり改める。
「控訴人岩根晟と同年同資格で入関した控訴人奥田康雄は、本件係争期間開始時における等級号棒、本件係争期間中に一度特別昇給したこと、主任相当職への昇任の年や五等級への昇格の年月日、昇格前の等級号棒は、控訴人植田邦彦と同じである。そうすると、控訴人奥田康雄は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員の多くの者と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員全員より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(五―一二)は、右の非組合員全員よりやや低いことが窺える。」
35 四〇四頁二行目から同頁六行目までを次のとおり改める。
「控訴人植田邦彦に同じ。なお、控訴人古賀照敏の本件係争期間開始時における等級号棒は、昭和二六年高校組の非組合員のうちの最も上位の六名と同じ七―七であった。」
36 四〇七頁八行目から同頁一一行目までを次のとおり改める。
「控訴人岩根晟と同年同資格で入関した控訴人坂本柏は、本件係争期間開始時における等級号棒、主任相当職への昇任や五等級への昇格の年は、控訴人植田邦彦と同じである(ただし、乙第三二〇六号証によれば、本件係争期間終了時の後の昭和四九年七月一日に六―一四から昇格したことが認められ、乙第九二号証の一、二によれば、その当時、六―一四は双子号棒の下位号棒であることが認められる。)。そうすると、控訴人坂本柏は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員の多くの者と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員全員より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―一四)は、右の非組合員全員より相当低いことが窺える。」
37 四〇八頁六行目の「一四八二号証の一、」の次の「、」を削除する。
38 四〇九頁末行の「なお、」の次に「乙」を加え、四一〇頁一行目の「また、」から同頁五行目末尾までを削除する。
39 四一〇頁九行目の「第三二八号証」、同頁一〇行目の「第六七九号証」及び同頁一一行目の「74」の次にいずれも「の」を加える。
40 四一三頁一一行目の「しかし、」から四一四頁二行目末尾までを削除する。
41 四一五頁三行目の「同月24・25・26・28日」を「同月24・25・26日、同年5月28日」と改める。
42 四一六頁二行目から同頁一〇行目までを次のとおり改める。
「控訴人岩根晟と同年同資格で入関した控訴人林義男の本件係争期間終了時における等級号棒は、五―一〇であったのであるから、控訴人林義男のその当時の非組合員との給与上の格差の程度は、控訴人植田邦彦より更に大きかったといえる。なお、控訴人林義男の本件係争期間開始時における等級号棒は控訴人植田邦彦と同じである。」
43 四一九頁五行目の「乙」の次に「第三二〇九号証、」を加える。
44 四二〇頁二行目から同頁一〇行目までを次のとおり改める。
「控訴人坂本柏に同じ。なお、控訴人前田信雄の本件係争期間開始時における等級号棒は控訴人古賀照敏と同じであり、乙第三二一〇号証によれば、控訴人前田信雄は本件係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。」
45 四二三頁一一行目の「二〇二号証、」の次に「第七五一号証、」を加える。
46 四二五頁一二行目の「乙」の次に「第三二一〇号証、」を加える。
47 四二六頁七行目の「なお、」の次に「乙」を加え、同頁九行目から同頁一二行目までを削除する。
48 四二九頁八行目冒頭から同頁末行の「低くなる。」までを「昭和二七年に四級職の資格で入関した控訴人加藤不二男は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和二七年四級組の非組合員二名と同じ七―六であり、主任相当職に昇任したのは右の非組合員二名より二年遅い昭和四八年であり、五等級に昇格したのは右の非組合員より一、二年程度遅いと考えられる昭和四九年(本件係争期間終了時より後)である。そうすると、控訴人加藤不二男は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―一四)は、右の非組合員より低いことが窺える。」と改め、四三〇頁一行目の「五等級に」の次に「昇格」を加える。
49 四三三頁三行目から四三四頁一行目までを次のとおり改める。
「昭和二七年に高校卒業の資格で入関した控訴人寺地健は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和二七年高校組の非組合員六二名のうちの六〇名と同じ七―五であったが、主任相当職に昇任したのは右の非組合員二名と同じ昭和四八年であり(それより遅い者は二名にすぎない。)、五等級に昇格したのは右の非組合員のほとんどの者より遅い昭和四九年(本件係争期間終了時より後)である(それより遅い者は昇任も遅かった二名にすぎないと考えられる。)。そうすると、控訴人寺地健は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員のほとんどの者と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員のほとんどの者より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―一三)は、右の非組合員の劣位の者と同程度であることが窺える。」
50 四三九頁八行目の「しかし、」から同頁一二行目末尾までを「なお、控訴人安福弘の本件係争期間開始時における等級号棒は非組合員全員より上位である七―六であった。」と改める。
51 四四四頁二行目の「乙」の次に「第三二一五号証、」を加える。
52 四四四頁一〇行目から四四五頁一行目までを次のとおり改める。
「控訴人寺地健と同年同資格で入関した控訴人高橋章は、本件係争期間開始時における等級号棒、主任相当職への昇任や五等級への昇格の年が控訴人寺地健と同じであった(ただし、昇格は本件係争期間終了時より前)。そうすると、控訴人高橋章は、給与上、本件係争期間開始時においては、昭和二七年高校組の非組合員のほとんとの者と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員のほとんどの者より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(五―一〇)は、右の非組合員の劣位の者と同程度であることが窺える。」
53 四四七頁五行目から六行目にかけての「昭和四八年」を「昭和四七年」と改める。
54 四四九頁一一行目冒頭から四五〇頁三行目の「低くなる。」までを「控訴人寺地健と同年同資格で入関した控訴人田代勝は、本件係争期間開始時における等級号棒が控訴人寺地健と同じであり、本件係争期間中に二回特別昇給しているが、主任相当職に昇任したのは昭和二七年高校組の非組合員のうちの二名と同じ昭和四七年であり(それより遅い者は四名にすぎない。)、五等級に昇格したのは右の非組合員のほとんどの者より遅い昭和四八年である(乙三二一七号証によれば、同年七月一日に六―一四から昇格したことが認められ、その当時、六―一四が双子号棒の下位号棒であることは、前記のとおりである。それより遅い者は昇任も遅かった四名にすぎないと考えられる。)。そうすると、控訴人田代勝は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員のほとんどの者と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員のほとんどの者より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたものの、二回特別昇給していることに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(五―一一)は、右の非組合員の中位の者にやや劣る程度であることが窺える。」と、同頁四行目から五行目にかけての「昇格」を「昇給」とそれぞれ改める。
55 四五一頁八行目の「45年」を「44年」と改める。
56 四五四頁四行目の「取外す」を「取外し」と改める。
57 四五五頁末行の「乙」の次に「第三二一八号証、」を加える。
58 四五六頁六行目から同頁一〇行目までを次のとおり改める。
「昭和二八年に五等級の資格で入関した控訴人青木俊夫は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和二八年五級組の非組合員二名(六―五)より低い七―七であり、主任相当職に昇任したのが右の非組合員より六年遅い昭和四七年であり、五等級に昇格したのは五年遅い昭和四八年である。そうすると、控訴人青木俊夫は、給与上、本件係争期間開始時において既に、右の非組合員より低い処遇を受けていたが、その後も右の非組合員より大幅に主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(五―一一)は、右の非組合員より相当低いことが窺える。」
59 四五九頁六行目の「第三三五五」を「第三四五五」と改める。
60 四六二頁九行目から四六三頁五行目までを次のとおり改める。
「昭和二八年に高校卒業の資格で入関した控訴人越塚健は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和二八年高校組の非組合員六六名のうちの四一名と同じ七―五であったが(その余の二五名は七―四)、主任相当職に昇任したのは右の非組合員のうち最も遅い二名と同じ昭和四八年であり、五等級に昇格したのは右の非組合員の最も遅い者とほぼ同じであると考えられる昭和四九年(本件係争期間終了時より後)である。そうすると、控訴人寺地健は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員の多数の者と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員のほとんどの者より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―一三)は、右の非組合員の最も劣位の者と同程度であることが窺える。」
61 四六三頁一〇行目の「たのに」を「のに」と改める。
62 四六四頁末行の「乙」の次に「第三二二一号証、」を、四六五頁二行目から三行目にかけての「11.5日、」の次に「昭和四四年に6.5日、」をそれぞれ加える。
63 四六五頁八行目から四六六頁二行目までを次のとおり改める。
「控訴人越塚健と同年同資格で入関した控訴人小島久は、本件係争期間開始時における等級号棒が七―四であったが、主任相当職への昇任や五等級への昇格の年が控訴人越塚健と同じであった。そうすると、控訴人小島久は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員の相当数の者と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員のほとんどの者より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―一二)は、右の非組合員の最も劣位の者と同程度であることが窺える。」
64 四六六頁一〇行目の「第三二八号証」の次に「の」を加える。
65 四六九頁三行目の「乙」の次に「第三二二二号証、」を加える。
66 四六九頁一〇行目の末尾の次に「なお、坂本檀の本件係争期間開始時における等級号棒は控訴人越塚健と同じである。」を加える。
67 四七一頁末行の「同年23」を「同月23」と、四七二頁二行目の「同12月」を「同年12月」とそれぞれ改める。
68 四七三頁八行目の「乙」の次に「第三二二三号証、」を加える。
69 四七四頁一行目の「原告小島久」を「坂本檀」と、同頁三行目の「昇給するとともに」を「昇給し、昭和四九年七月一日に」とそれぞれ改める。
70 四七六頁三行目から同頁四行目までを削除する。
71 四八〇頁一〇行目の「原告小島久」を「坂本檀」と改め、同頁一一行目から同頁末行までを削除する。
72 四八四頁四行目の「しかし、」から同頁六行目末尾までを削除する。
73 四八六頁三行目の「乙第三二二八号証」から同頁五行目末尾までを削除する。
74 四九一頁一行目から同頁五行目までを次のとおり改める。
「昭和三〇年に四級職の資格で入関した控訴人植田明は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三〇年四級組の非組合員四名と同じ七―四であったが、主任相当職に昇任したのが右の非組合員の最も遅い者より二年遅い昭和四九年であり、五等級に昇格したのは右の非組合員の最も遅い者と同じか一年程度遅いと考えられる昭和四九年(本件係争期間終了時より後)である。そうすると、控訴人植田明は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員より主任相当職への昇任が遅れたこと、五等級への昇格が右の非組合員の最も遅い者と同じかこれより遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―一二)は、右の非組合員の最も劣位の者よりやや低いことが窺える。」
75 四九五頁一一行目から四九六頁四行目までを次のとおり改める。
「昭和三二年に四級職の資格で入関した控訴人稲岡辰男は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三二年四級組の非組合員三七名全員と同じ七―一であったが、主任相当職に昇任したのは右の非組合員の最も遅い者より一年遅い昭和四九年(本件係争期間終了時より後)であり、五等級に昇格したのは右の非組合員の最も遅い者と同じか一年程度遅いと考えられる昭和五〇年である。そうすると、控訴人稲岡辰男は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員より主任相当職への昇任が遅れたこと、五等級への昇格が右の非組合員の最も遅い者と同じかこれより遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―九)は、右の非組合員の最も劣位の者よりやや低いことが窺える。」
76 四九六頁六行目の「第二八〇号証」の次に「の」を加える。
77 四九八頁四行目の「乙」の次に「第三二三〇号証、」を加える。
78 五〇三頁一〇行目の「乙」の次に「第三二三二号証、」を加える。
79 五〇七頁末行の「第三五一六」を「第三五一五」と改める。
80 五一三頁三行目から四行目にかけての「43年」を「42年」と改める。
81 五一五頁一一行目から同頁一二行目までを次のとおり改める。
「昭和三二年に三級職の資格で入関した真下陳夫(同年同資格で入関した非組合員の存在は認められない。)は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三二年四級組の非組合員三七名全員と同じ七―一であったが(なお、昭和三二年高校組の非組合員三名は八―七である。)、主任相当職に昇任したのは昭和三二年四級組の非組合員のうち最も遅い者より二年遅い(昭和三二年高校組三名より二年遅い)昭和五〇年であり、五等級に昇格したのは右の非組合員の最も遅い者より一、二年程度遅い(昭和三二年高校組三名より同程度遅い)と考えられる昭和五一年である。そうすると、真下陳夫は、給与上、本件係争期間開始時においては、昭和三二年四級組の非組合員と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員より主任相当職への昇任が遅れたこと、五等級への昇格が右の非組合員の最も遅い者と同じかこれより遅れたこと(昭和三二年高校組と比較しても昇任、昇格が遅れたこと)及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―九)は、昭和三二年高校組の非組合員と比較してもやや低いことが窺える。」
82 五二三頁四行目の「7月13日」を「7月12日」と改める。
83 五二四頁九行目から同頁末行までを次のとおり改める。
「真下陳夫に同じ。なお、控訴人木村次尾は、本件係争期間開始時における等級号棒が昭和三二年高校組の非組合員三名と同じ八―七であったが、本件係争期間中に一回特別昇給した。」
84 五二六頁一一行目の「乙」の次に「第三二四一号証、」を加える。
85 五二七頁三行目から同頁一〇行目までを次のとおり改める。
「昭和三二年に高校卒業の資格で入関した控訴人田中順子(ただし、乙三二四二号証によれば、控訴人田中順子は、当初行(二)職員として採用され、昭和三五年四月に行(一)に切替えられたことが認められる。)は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三二年高校組三名と同じ八―七であったが、主任相当職に昇任したのは右の非組合員より二年遅い昭和五〇年であり、五等級に昇格したのは右の非組合員より一、二年程度遅いと考えられる昭和五一年である。そうすると、控訴人田中順子は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―八)は、右の非組合員よりやや低いことが窺える。」
86 五三〇頁四行目の「(3)」を「(3)」と改める。
87 五三〇頁七行目の「弁論の全趣旨」を「乙第三二四二号証」と改める。
88 五三〇頁一二行目から五三一頁六行目までを次のとおり改める。
「昭和三三年に中級職の資格で入関した控訴人高瀬崇夫は、本件係争期間開始時における等級号棒が、七―三であり、本件係争期間終了時の等級号棒が六―一〇であるが、同年同資格で入関した非組合員の存在を認めるに足りない。しかし、控訴人高瀬崇夫が一回も特別昇給していないことからすると、本件係争期間終了時における右処遇は、仮に同年同資格で入関した非組合員が存在するとした場合のその平均的な処遇よりは、少なくともその分だけは低いことが窺われる。」
89 五三四頁五行目の「そん」を「その」と改める。
90 五三六頁九行目から同頁一二行目までを次のとおり改める。
「控訴人高瀬崇夫と同じ。なお、控訴人小沢康七の本件係争期間開始時における等級号棒は七―二であった。」
91 五四一頁八行目から同頁一〇行目までを次のとおり改める。
「昭和三三年に初級職の資格で入関した控訴人北本恵一は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三三年初級組の非組合員一三名のうちの九名と同じ八―七であったが(その余の四名は八―六)、主任相当職に昇任したのは右の非組合員のうち最も遅い一名と同じ昭和四九年(本件係争期間終了時より後)であり、五等級に昇格したのは右の非組合員の最も遅い者とほぼ同じであると考えられる昭和五〇年である。そうすると、控訴人北本恵一は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員の多数の者と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員のほとんどの者より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―八)は、右の非組合員の最も劣位の者と同程度であることが窺える。」
92 五四三頁末行から五四四頁三行目までを次のとおり改める。
「控訴人北本恵一と同年同資格で入関した控訴人下前春生の本件係争期間終了時における等級号棒は、六―七であるから、控訴人下前春生のその当時の非組合員との給与上の格差の程度は、控訴人北本恵一より更に大きかったといえる。なお、控訴人下前春生の本件係争期間開始時における等級号棒は控訴人北本恵一と同じである。」
93 五四七頁二行目の「乙」の次に「第三二四六号証、」を加える。
94 五五〇頁七行目の「(3)」を「(3)」と改める。
95 五五四頁八行目末尾の次に「なお、控訴人岩本宏の本件係争期間開始時の等級号棒は八―六である。」を加える。
96 五五六頁四行目の「原告北本恵一」を「控訴人岩本宏」と改める。
97 五五九頁七行目の「原告北本恵一」を「控訴人岩本宏」と改める。
98 五六二頁二行目の「八月一八日に」の次の「よれば」を削除し、同頁六行目の「次に」を「次の」と改める。
99 五六二頁末行から五六三頁二行目までを次のとおり改める。
「昭和三三年に高校卒業の資格で入関した控訴人大塚大三は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三三年高校組の非組合員一五名全員と同じ八―五であり、主任相当職に昇任したのは右の非組合員のうち九名と同じ昭和四九年(本件係争期間終了時より後、その余の非組合員は、五名が昭和四八年、一名が昭和五一年)であり、五等級に昇格したのは右の同じ年に昇任した非組合員とほぼ同じであると考えられる昭和五〇年である。そうすると、控訴人大塚大三は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員全員と同じ処遇を受けており、その後の主任相当職への昇任や五等級への昇格についても非組合員の多数の者と同程度の処遇を受けているが、特別昇給がなかったため、少なくとも一回は特別昇給をしたと考えられる非組合員のうちの非違行為等のなかった多くの者に比較すると、その本件係争期間終了時における処遇(六―七)は、やや低いことが窺える。」
100 五六四頁七行目の「12月1・3・4日」の次に「)」を加える。
101 五六四頁末行冒頭から五六五頁二行目から三行目にかけての「低くなっている。」までを「控訴人大塚大三と同年同資格で入関した控訴人佐々木範明の本件係争期間終了時における等級号棒は、六―六であるから、控訴人佐々木範明のその当時の非組合員との給与上の格差の程度は、控訴人大塚大三より大きかったといえる。なお、控訴人佐々木範明の本件係争期間開始時における等級号棒は控訴人大塚大三と同じである。」と改める。
102 五六七頁一二行目の「従わなかったことの」を「従わなかったことに」と改める。
103 五六八頁八行目の「乙」の次に「第三二五三号証の一、」を加える。
104 五七六頁一行目末尾の次に「を」を加え、同頁五行目の「によれば一、二、」を「の一、二」と改める。
105 五七七頁一行目冒頭から同頁六行目の「右乙号証」までを「控訴人佐々木範明に同じ。しかし、乙第三二五七号証」と改める。
106 五七七頁一〇行目の「第二六六号証」を「第三六六号証」と、五七八頁二行目の「五3(四)」を「前記第五の一3(四)」とそれぞれ改める。
107 五八二頁九行目の「下屋広隆」を「大屋広隆」と、五八三頁六行目の「でぐのぼう」を「でくのぼう」とそれぞれ改める。
108 五八四頁四行目の「同期」から同頁七行目末尾までを「同年同資格で入関した非組合員の存在を認めるに足りない。しかし、控訴人岩根勝子が一回も特別昇給していないことからすると、本件係争期間終了時における右処遇は、仮に同年同資格で入関した非組合員が存在するとした場合のその平均的な処遇よりは、少なくともその分だけは低いことが窺われる。」と改める。
109 五八六頁四行目の「乙第三二五七号証」を「乙第三二五八号証」と改める。
110 五八六頁一一行目から五六七頁二行目までを次のとおり改める。
「昭和三四年に初級職の資格で入関した控訴人池西光輝は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三四年初級組の非組合員二一名のうちの一八名と同じ八―六であったが、(その余の三名は八―五)、主任相当職に昇任したのは右の非組合員のうち最も遅い二名(不明の一名を除く。)と同じ昭和五〇年であり(その余の一八名は昭和四九年)、五等級に昇格したのは右の非組合員の最も遅い者とほぼ同じであると考えられる昭和五一年である。そうすると、控訴人池西光輝は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員の多数の者と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員のほとんどの者より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―七)は、右の非組合員の多くの者よりやや低いことが窺える。」
111 五八七頁末行の「五3(四)」を「前記第五の一3(四)」と改める。
112 五八九頁九行目冒頭から五九〇頁一行目の「右乙号証」までを「控訴人池西光輝と同年同資格で入関した控訴人井上洋一の本件係争期間終了時における等級号棒は、六―六であるから、控訴人井上洋一のその当時の非組合員との給与上の格差の程度は、控訴人池西光輝より大きかったといえる。なお、控訴人井上洋一の本件係争期間開始時における等級号棒は控訴人池西光輝と同じである。しかし、乙第三二六〇号証」と改める。
113 五九〇頁四行目の「乙第七一号証の一、五」を「乙第七一号証の一五」と、五九二頁末行の「(2)」を「(3)」とそれぞれ改める。
114 五九六頁二行目から三行目にかけての「取外す」を「取外し」と改める。
115 五九八頁六行目の「一二月四日」を「一二月一日」と改める。
116 五九九頁六行目の「第二三六三号証」を「第三二六三号証」と、同頁九行目の「認めらる」を「認められる」とそれぞれ改め、同行末尾の次に「そのため、控訴人大西是の本件係争期間開始時の等級号棒は非組合員全員より低い八―五であった。」を加える。
117 六〇二頁三行目の「係争期間中」から同頁四行目の「同原告は、」までを削除する。
118 六一三頁八行目の「原告井上洋一」を「控訴人大西是」と改める。
119 六一三頁一一行目の「第三〇九号証」の次に「の」を加える。
120 六一六頁一一行目の「乙」の次に「第三二六七号証、」を加える。
121 六一七頁五行目及び同頁一〇行目の各「松岡竜二」をいずれも「松岡龍二」と改める。
122 六一九頁八行目から同頁一二行目までを次のとおり改める。
「昭和三四年に初級職の資格で入関し、昭和三七年に中級職の資格を取得した控訴人屋形修一は、本件係争期間開始時及び本件係争期間終了時における各等級号棒が、控訴人池西光輝と同じである(昭和三七年中級組の非組合員の存在は認められない。)。したがって、控訴人屋形修一は、昭和三四年初級組の非組合員と比較しても、控訴人池西光輝と同程度の給与上の格差があるといえる。」
123 六二三頁九行目の「乙」の次に「第三二七〇号証、」を加える。
124 六二四頁九行目の「二一月」を「一二月」と改める。
125 六二五頁八行目から同頁一〇行目までを次のとおり改める。
「昭和三四年に高校卒業の資格で入関した大西宏之は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三四年高校組の非組合員五名全員と同じ八―四であったが、主任相当職に昇任したのは右の非組合員より二年遅い昭和五一年であり、五等級に昇格したのは右の非組合員より一、二年遅いと考えられる昭和五二年である。そうすると、大西宏之は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―六)は、右の非組合員よりやや低いことが窺える。」
126 六二七頁三行目の「42年」を「47年」と改める。
127 六三〇頁八行目から同頁一〇行目までを次のとおり改める。
「昭和三五年に初級職の資格で入関した控訴人生駒洋二は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三五年初級組の非組合員九名全員と同じ八―五であったが、主任相当職に昇任したのは右の非組合員のうち最も遅い一名より二年遅い昭和五二年であり(非組合員八名は昭和四九年に昇任)、五等級に昇格したのは右の非組合員の最も遅い者より一、二年程度遅いと考えられる昭和五四年である。そうすると、控訴人生駒洋二は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員全員と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―六)は、右の非組合員よりやや低いことが窺える。」
128 六三七頁五行目の「第四突分室」を「第四突堤分室」と改める。
129 六四七頁一一行目の「乙」の次に「第三二七九号証の一、」を加える。
130 六五五頁五行目から同頁七行目までを次のとおり改める。
「昭和三五年に高校卒業の資格で入関した控訴人岸本強は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三五年高校組の非組合員一六名のうちの五名と同じ八―四であったが(その余の一一名は八―三)、主任相当職に昇任したのは右の非組合員のうち最も遅い二名と同じ昭和五一年であり、五等級に昇格したのは右の非組合員の最も遅い者とほぼ同じであると考えられる昭和五二年である。そうすると、控訴人岸本強は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員の上位の者と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員のほとんどの者より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―五)は、右の非組合員の多くの者よりやや低いことが窺える。」
131 六五五頁九行目の「第二五八号証」の前に「乙」を加える。
132 六五八頁八行目から同頁一〇行目までを次のとおり改める。
「昭和三六年に初級職の資格で入関した控訴人井口恭光は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三六年初級組の非組合員二七名全員と同じ八―四であったが、主任相当職に昇任したのは右の非組合員のうちの一名と同じ昭和五一年であり(それより遅い非組合員は一名のみである。)、五等級に昇格したのは右の非組合員の多くの者より一年程度遅いと考えられる昭和五二年である。そうすると、控訴人井口恭光は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員全員と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員のうちの多くの者より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―五)も既に、右の非組合員のうちの多くの者よりやや低く、劣位の少数の者と同程度であることが窺える。」
133 六五九頁一行目の「九月八日」を「九月一八日」と改める。
134 六六六頁四行目の「第三八二号証の一」の前に「乙」を加える。
135 六七四頁二行目から同頁六行目までを次のとおり改める。
「控訴人井口恭光と同年同資格で入関した控訴人川上俊智は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三六年初級組の非組合員全員より低い八―三であったが、本件係争期間中に一回特別昇給し、その本件係争期間終了時における等級号棒は、その余の同年同資格の第一審原告組合員等より一号棒高い六―六であることに鑑みると、右処遇は、右の非組合員のうちの多くの者と同程度であることが窺える。」
136 六七八頁一一行目の「乙」の次に「第三二九〇号証、」を加える。
137 六八一頁一〇行目の「乙第一一三号証」を「成立に争いのない乙第一一三号証」と改める。
138 六八二頁五行目から同頁七行目までを削除する。
139 六八六頁三行目の「第三〇八号証に」を「第三〇八号証の」と改める。
140 六九七頁四行目から同頁六行目までを削除する。
141 六九八頁一一行目の「三八回」を「三九回」と改める。
142 七〇二頁一〇行目の「昭和四八年」を「昭和四七年」と改める。
143 七〇八頁一行目の「一五四七号証」の次に「の」を加え、七〇九頁七行目から八行目にかけての「二五五九号証」の次の「、」を削除する。
144 七一〇頁七行目の「乙」の次に「第三三〇〇号証、」を加える。
145 七一五頁一二行目の「48年」の次に「12月」を加える。
146 七一七頁五行目の「中埠出張所」を「中埠頭出張所」と改める。
147 七一九頁二行目の「乙」の次に「第三三〇三号証、」を加える。
148 七二五頁二行目の「(48年12月10・11日)」の次の「の」を削除する。
149 七二六頁一一行目から七二七頁四行目までを次のとおり改める。
「昭和三六年に高校卒業の資格で入関した控訴人井手輝彦は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三六年高校組の非組合員二二名全員と同じ八―三であったが、主任相当職に昇任したのは右の非組合員のうち最も遅い一名より二年遅い昭和五四年であり(非組合員のうち二一名は昭和五一年までに昇任)、五等級に昇格したのは右の非組合員の最も遅い者より一、二年程度遅いと考えられる昭和五六年である。そうすると、控訴人井手輝彦は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員全員と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと(なお、非組合員のほぼ全員の主任相当職への昇任が終わった昭和五一年は、本件係争期間終了時より二年後であることからすると、本件係争期間終了時より後の右昇任、昇格の遅れと本件係争期間終了時における処遇の優劣との関係はある程度希薄であるといえるが、その間に全く相関関係がないとは考えられない。)及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(七―七)も既に、右の非組合員より低いことが窺える。なお、乙第三三〇八号証によれば、控訴人井手輝彦は、本件係争期間終了の翌日に六等級に昇格したことが認められる。」
150 七三〇頁末行から七三一頁一行目までを次のとおり改める。
「控訴人井手輝彦と同年同資格で入関した控訴人沢井庸晃は、本件係争期間開始時における等級号棒が控訴人井手輝彦と同じであったが、主任相当職に昇任したのは右の非組合員のうち最も遅い一名と同じで、非組合員の多くの者よりは二年遅れている昭和五二年であり、五等級に昇格したのは右の非組合員の最も遅い者とほぼ同じと考えられる昭和五三年である(ただし、昇任と同様、非組合員の多くの者よりは、二年程度遅れていると考えられる。)。そうすると、控訴人沢井庸晃は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員全員と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと(このことと本件係争期間終了時の処遇の優劣との関係は控訴人井手輝彦に関して述べたとおりである。)及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―四)も既に、右の非組合員よりやや低いことが窺える。」
151 七三二頁一二行目の「乙」の次に「第三三〇九号証、」を加える。
152 七三三頁六行目から同頁七行目までを次のとおり改める。
「控訴人沢井庸晃に同じ。」
153 七三五頁八行目の「乙」の次に「第三三一〇号証、」を加える。
154 七三八頁一〇行目から同頁一一行目までを次のとおり改める。
「なお、控訴人林弘司は、入関日が昭和三六年六月二四日であるため、本件係争期間開始時における等級号棒は控訴人井手輝彦より一号棒低い八―二であった。」
155 七四〇頁末行から七四一頁一行目までを次のとおり改める。
「なお、控訴人脇岡秀年は、入関日が昭和三六年六月二四日であるため、本件係争期間開始時における等級号棒は控訴人井手輝彦より一号棒低い八―二であった。」
156 七四一頁末行の「第二六七六号証」の次に「の一」を加える。
157 七四三頁二行目冒頭から同頁七行目の「低くなっている。」までを「昭和三七年に初級職の資格で入関した控訴人天野親聡は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三七年初級組の非組合員三二名全員と同じ八―三であったが、主任相当職に昇任したのは右の非組合員のうちの最も遅い者より二年遅い昭和五四年であり(非組合員のうちの三一名は、昭和五一年までに昇任したから、それらの者よりは三年遅い。)、五等級に昇格したのも昇任と同程度遅いと考えられる昭和五六年である。そうすると、控訴人天野親聡は、給与上、本件係争期間開始時においては、右の非組合員全員と同じ処遇を受けていたが、その後右の非組合員全員より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと(このことと本件係争期間終了時の処遇の優劣との関係は控訴人井手輝彦に関して述べたとおりである。)及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(七―七)も既に、右の非組合員全員より低いことが窺える。」と改める。
158 七四七頁四行目から五行目にかけての「集会覧表」を「集会一覧表」と改める。
159 七四九頁二行目から同頁四行目までを次のとおり改める。
「昭和三七年に高校卒業の資格で入関した控訴人塚本富美子は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三七年高校組の非組合員一〇名全員と同じ八―一である。しかし、本件係争期間中に特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(七―六)は、少なくともその分だけ右の非組合員の多くの者より低いことが窺える(なお、控訴人塚本富美子が主任相当職に昇任したのは、昭和五二年までに昇任した右の非組合員のうち途中退職した一名を除く九名より遅れ、五等級に昇格したのも遅れていると考えられるが、昭和五二年は本件係争期間終了時より三年後であることからすると、本件係争期間終了時より後の右昇任、昇格の遅れと本件係争期間終了時における処遇の優劣との関係は相当希薄であるといえる。)。」
160 七五四頁七行目から同一〇行目までを次のとおり改める。
「昭和三八年に初級職の資格で入関した控訴人池内幸恵は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三七年初級組の非組合員二八名全員と同じ八―二である。しかし、本件係争期間中に特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(七―六)は、少なくともその分だけ右の非組合員の多くの者より低いことが窺える〔なお、控訴人池内幸恵が主任相当職に昇任したのは、昭和五四年までに昇任した右の非組合員のうち二七名(二二名は昭和五二年までに昇任した。)より遅れ、五等級に昇格したのも遅れていると考えられるが、昭和五四年は本件係争期間終了時より五年後である(昭和五二年をとっても三年後である。)ことからすると、本件係争期間終了時より後の右昇任、昇格の遅れと本件係争期間終了時における処遇の優劣との関係は相当希薄であるといえる。〕。」
161 七五五頁三行目の「74に」を「74の」と改める。
162 七五七頁一二行目の「乙」の次に「第三三一九号証、」を加える。
163 七六九頁六行目の同頁一二行目までを次のとおり改める。
「昭和三六年に高校卒業の資格で入関した控訴人細川義信は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三六年高校組の非組合員二八名全員より一号棒低い八―二であったが(入関日が九月五日であったためである。)、昭和三九年に中級職の資格を取得した。しかし、控訴人細川義信が主任相当職に昇任したのは昭和三七年に初級職の資格で入関し、昭和三九年に中級職の資格を取得した二名の者(昭和三九年中級組、ただし、この二名の本件係争期間開始時における等級号棒は、八―三であった。)より二年遅い昭和五二年である(昭和三六年高校組の非組合員でも二一名は昭和五一年までに昇任している。なお、五等級に昇格した年は不明である。)。そうすると、控訴人細川義信は、給与上、本件係争期間開始時においても、昭和三六年高校組の非組合員全員より低い処遇を受けていたが、その後昭和三九年中級組の非組合員より主任相当職への昇任が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―五)も既に、右の非組合員より低いことが窺える。」
164 七七二頁五行目から同頁六行目までを次のとおり改める。
「昭和三七年に初級職の資格で入関した控訴人原奉宣は、本件係争期間開始時における等級号棒が、昭和三七年初級組の非組合員三二名全員と同じ八―三であったが、昭和三九年に中級職の資格を取得した。しかし、控訴人細川義信が主任相当職に昇任したのは昭和三九年中級組の非組合員二名より五年遅い昭和五五年であり(昭和三七年初級組の非組合員でも三二名中三一名が昭和五一年までに昇任している。)、五等級に昇格したのは右の非組合員二名より同程度遅いと考えられる昭和五六年である。そうすると、控訴人原奉宣は、給与上、本件係争期間開始時においては、昭和三七年初級組の非組合員全員と同じ処遇を受けていたが、その後昭和三九年中級組の非組合員より主任相当職への昇任や五等級への昇格が遅れたこと及び特別昇給がなかったことに鑑みると、その本件係争期間終了時における処遇(六―五)も既に、控訴人細川義信と同様、右の非組合員より低いことが窺える。」
165 七七二頁一二行目の「上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた」を「当局から中止解散するよう命じられた」と改める。
第七 第一審原告組合員等の勤務成績が、個別的あるいは全体的にみて、非組合員のそれより劣っていないといえるか否か及び神戸税関長が、本件係争期間中、昇任、昇格、昇給について第一審原告組合員等を差別扱いしたといえるか否かについて
一 勤務成績の評定の裁量性
国公法七二条一項は、「職員の執務については、その所轄庁の長は、定期的に勤務成績の評定を行い、その評定の結果に応じた措置を講じなければならない。」と規定し、これを受けた規則一〇―二(勤務評定の根本基準)第二条一項は、「勤務評定は、職員が割り当てられた職務と責任を遂行した実績(以下「勤務実績」という。)を当該官職の職務遂行の基準に照らして評価し、並びに執務に関連して見られた職員の性格、能力及び適正を公正に示すものでなければならない。」と規定している。これによると、神戸税関の職員の勤務成績の評定の権限が神戸税関長にあることは明らかであるところ、勤務成績の評定は、その事柄の性質上、平素から神戸税関内の事情に通暁し、部下職員の指揮監督の衝にあたる神戸税関長の裁量に任せるのでなければ到底適切になしえないというべきであるから、神戸税関長は、神戸税関の職員の勤務成績の評定につき極めて広範な裁量権を有しているといわなければならない。
二 非違行為及び出勤状況と勤務成績の関係
1 非違行為と勤務成績との関係
当裁判所の非違行為と勤務成績との関係についての認定、判断は、次のとおり(頁数は原判決の頁数を示す。)訂正するほか、この点についての原判決の認定、判断(七七六頁三行目から七八四頁八行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
(一) 七七六頁三行目の「法令」から同頁五行目末尾までを、「そのうち勤務時間中になされたプレート等を着用し、上司からの取外しの注意や命令に従わなかった行為、無断で離席して当局のビラ撤去等に抗議し、上司の職場復帰命令に従わなかった行為及び組合用務としてのビラ配布等をした行為は、国公法九八条(法令及び上司の命令に従う義務)、一〇一条(職務に専念する義務)、一〇八条の六(職員団体のための職員の行為の制限)等に違反する違法な行為であり、また、勤務時間外に職場内でなされた無許可で集会を行い、当局の解散命令に従わなかった行為、上司に対し大勢で面会を強要したり、激しい抗議を行い、当局の解散命令にも従わなかった行為、これにより勤務中の職員の業務を妨害した行為は、国公法九八条(法令及び上司の命令に従う義務)、九九条(信用失墜行為の禁止)、規則一七―二(職員団体のための職員の行為)七条二項、庁舎管理規則(乙第九八号証)等に違反する違法な行為であって、いずれも職場秩序を乱し、神戸税関の業務の円滑な執行を阻害するものであるといえる。」と改める。
(二) 七八四頁六行目の「考慮され」から同頁八行目末尾までを「考慮されることがありうるのは当然である。したがって、このような非違行為を行った者については、その非違行為が存在する故をもって、勤務成績が良好であることについての監督する地位にある者の証明が得られずに普通昇給が延伸されることもあり得ることであり、また、八等級から七等級に昇格する際の短縮措置が受けられないことや受けられてもその短縮期間を短縮されることも当然あり得ることであるし〔ちなみに、前掲乙第三二一〇号証、第三二二五、三二二六号証、第三二四三号証、第三二五七号証、第三二五九、三二六〇号証、第三二六四号証、第三二九二号証、第三二九七号証及び弁論の全趣旨によれば、本件係争期間中、前記の桶谷孝史の外にも、控訴人前田信雄、同中川和、同結縁俊雄、同高瀬崇夫、同深田辰次、同池西光輝、同井上洋一、同岡崎悦造、同白川弘視及び同田村芳春が、成績不良を理由として、普通昇給を延伸された(控訴人高瀬崇夫は六か月、その余の者は三か月)ことが認められ、また、前掲甲第七九号証、乙第三二六〇ないし三二六二号証、第三二六四ないし三二六六号証、第三二七〇、三二七一号証、控訴人大塚広圀の本人尋問の結果(第一回)によれば、本件係争期間中、控訴人井上洋一、同今村恒紀、同宇田久男、同岡崎悦造、同小松正諦、同灰野善夫、同柳沢尚及び同山野陽通は、八等級から七等級に昇格する際の短縮措置の短縮期間を三か月短縮されたことが認められる。〕、そこまでには至らないまでも、昇任、昇格及び特別昇任をさせるべき職員の選定に際し、そのような非違行為のない職員に対し、劣位に取り扱われることも当然あり得ることであり、成績主義を根本基準とする任用及び給与制度のもとにおいて、そのような取扱いは何ら違法でも、不当でもないことは明らかである。」と改める。
2 出勤状況と勤務成績との関係
当裁判所の出勤状況と勤務成績との関係についての判断は、この点についての原判決の判断(七八四頁一〇行目から七八六頁一〇行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
三 第一審原告組合員等の勤務成績が、個別的あるいは全体的にみて、非組合員のそれより劣っていないといえるか否か
前記のとおり、非組合員の本件係争期間中の勤務実績や能力等を明らかにするに足りる証拠はないし、また、第一審原告組合員等の勤務実績や能力等についても、前記認定の非違行為や出勤状況を除き、これを明らかにするに足りる適格な証拠はないから、第一審原告組合員等各自の勤務成績が、その比較対照した同年同資格で入関した非組合員のうちの平均的な処遇を受けている者あるいは最も劣位の処遇を受けている者のそれより劣っていないことが証明されたとまではいえず、また、第一審原告組合員等の勤務成績が、集団的、全体的にみて、非組合員のそれより劣っていないことが証明されたとまでもいえない。
かえって、第一審原告組合員等の多くの者は、前記認定のとおり、本件係争期間中、控訴人組合の活動の一環として非違行為を繰り返し行っていたものであることに鑑みると、神戸税関長は、右のような非違行為を行った第一審原告組合員等の勤務成績を、その者のその余の出勤状況等を含む勤務実績、能力等と併せて総合考慮して、このような非違行為を行っていない非組合員の多くの者のそれより劣位に評定したであろうと考える余地は十分あるところ、勤務成績の評定の裁量性や非違行為と勤務成績との関係につき前述したところからすると、神戸税関長が右のような勤務成績の評定を行ったとしても、それをもって神戸税関長がその有する勤務成績の評定についての裁量権を濫用し、右の第一審原告組合員等に対し、控訴人組合の組合員であることを理由として、恣意的な勤務成績の評定を行ったものであるということはできない。
なお、第一審原告組合員等の中には、非違行為が極めて少ないか、あるいは非違行為を行った時期がごく限られている上、出勤状況に格別問題がみられない者(控訴人高須賀四郎、同野口和正、同屋形修一、同井口恭光、同吉野陽児、同天野親聡、稲松斉、村田安弘)もいるところ、これらの者については、その点に関する限り、他の同年同資格で入関した第一審原告組合員等に比較し、勤務成績が良好であるといえる。しかしながら、必ずしもそのことが、右の第一審原告組合員等の勤務成績が非組合員のうちの平均的な処遇を受けている者あるいは最も劣位の処遇を受けている者のそれより劣っていないことに結びつくことにはならない。
四 第一審原告組合員等の昇任、昇格と非違行為との因果関係
第一審原告組合員等各自の昇任、昇格、昇給の推移等とその非違行為の時期、回数を比較すると、第一審原告組合員等の中には、その直前の勤務成績の評定期間中に多くの非違行為を行ったにもかかわらず、昇任や昇格をしている者がいることが明らかである。しかしながら、このことから直ちに、控訴人らが主張するように、第一審原告組合員等の昇任、昇格は、その非違行為とは無関係になされたものであるということはできない。けだし、証人篠永正晴の証言及び弁論の全趣旨によれば、神戸税関長は、昇任、昇格させる職員の選考に際しては、昇任させようとする官職や昇格させようとする等級の定数枠、必要在級年数や必要経験年数等を考慮した上、昇任、昇格の対象となる職員の学歴、資格、それまでの経歴、執務能力、勤務成績(現在の官職、等級にあった全期間を通じてのもの)等を総合勘案していることが認められるが、このような選考の仕方からすると、非違行為を行うなど直前の勤務成績に問題がある職員であっても、その職員に、同年同資格で入関した他の職員に比較して現在の官職に昇任したり、現在の等級に昇格した後相当長期間経過しているような事情のある場合などには、昇任、昇格させることもありうるといえるところ、右の第一審原告組合員等もそのような場合であるとみる余地は多分にあるからである。昇任、昇格につき右のような取扱いがなされることがあるからといって、非違行為の存在が勤務成績の評価において不利な事情として考慮され、これが昇任、昇格に影響を及ぼすものであることが否定されるものでないことは明らかである。
五 神戸税関長が、本件係争期間中、昇任、昇格、昇給について第一審原告組合員等を差別扱いしたといえるか否か
第一審原告組合員等は、本件係争期間終了時において、前記第三の三、四で検討したとおり、集団的、全体的にみて、非組合員との間に給与上の格差があり、また、前記第六の三で検討したとおり、個別的にみても、給与上程度の差はあるものの、同年同資格で入関した非組合員の劣位の者と同程度あるいは右の非組合員全員より劣る処遇を受けていたといえる(ただし、同年同資格で入関した非組合員の多くの者と同程度の処遇を受けていた控訴人川上俊智は除く。)。
控訴人らは、第一審原告組合員等が本件係争期間終了時において非組合員より給与上劣る処遇を受けていたのは、神戸税関長から、控訴人組合の組合員であることを理由として、昇任、昇格、昇給につき不当な差別扱いを受けたためであると主張する。
しかし、前記第三の二、第四の二で判示したとおり、税関職員を含む国家公務員の昇任、昇格、昇給は、成績主義の根本基準に基づき、当該職員の能力、勤務実績等を総合勘案して決定されるべき性質のものであって、神戸税関長は、第一審原告組合員等を含む神戸税関の職員の勤務成績の評定及びこれに基づく職員の昇任、昇格、昇給につき広範な裁量権を有するものであるから、神戸税関長の行為が、第一審原告組合員等に対する差別扱いであり、その裁量権を濫用する違法なものであるというためには、第一審原告組合員等と非組合員との間に給与格差が存在したというだけでは足りず、第一審原告組合員等各自が、本件係争期間中、勤務実績や能力等において、比較の対象とした非組合員より劣っていなかったことが個別的に立証されなければならないというべきである。ただ、神戸税関当局が控訴人組合及びこれに所属する組合員に対して差別意思を有していたことが認められる場合には、右事情は、他に第一審原告組合員等が非組合員に比して勤務成績や能力等において劣っていたなどの特段の事情がない限り、右の給与格差が差別意思に基づく差別扱いの結果であることを推認させるものであるということができる。
これを本件についてみると、前記第五の一において判示したとおり、控訴人らが神戸税関当局による控訴人組合に対する攻撃であり、その所属組合員に対する昇任、昇格、昇給以外の差別扱いであると主張する行為のうち、組合役員に対する処分等は、組合活動を逸脱した違法な争議行為に対する処分等であって、いずれも正当な理由に基づくものであり、また、その他の行為も、当局が関与した行為は、それぞれ合理的な理由に基づくものであって、控訴人組合に対する不当な攻撃やその所属組合員に対する差別扱いがあったとは認められないし、また、前記第五の二で判示したとおり、東京税関文書や関税局文書から神戸税関長の控訴人組合に所属する組合員に対する差別意思の存在が認定できるとはいえない上、右三のとおり、第一審原告組合員等各自の勤務成績が、その比較対照した同年同資格で入関した非組合員のうちの平均的な処遇を受けている者あるいは最も劣位の処遇を受けている者のそれより劣っていないことや第一審原告組合員等の勤務成績が、集団的、全体的にみても、非組合員のそれより劣っていないことが証明されたとまではいえず、かえって、第一審原告組合員等の多くの者は、前記第六の三で認定したとおり、本件係争期間中、控訴人組合の活動の一環として、組合活動を逸脱した非違行為を繰り返し行い、これに対する上司の注意、命令に従わなかったものであって、その行為の性質、態様、回数などからみて情状が軽微なものとはいえないことや病気休暇及び事故扱いの休暇日数が相当あることなどこれらの者には、勤務成績を劣位に評定されてもやむを得ないような事情があることからすると、第一審原告組合員等各自の本件係争期間終了時における給与上の前記処遇は、神戸税関長が、その与えられた裁量権に基づき、本件係争期間中の各評定時期において、第一審原告組合員等各自の勤務成績を評定し、これを昇任、昇格、特別昇給等をさせる者の選定に反映させた結果にすぎないとみる余地は十分あるといえる。このような見方を否定して、第一審原告組合員等の右処遇は、神戸税関長が、第一審原告組合員等を控訴人組合の組合員であることを理由として、昇任、昇格、特別昇給等につき不利益扱いしたもので、その裁量権の範囲を超え、これを濫用した結果であることを窺わせる事情を認めるに足りる証拠はない。
第八 結論
以上によると、その余の点につき検討するまでもなく、控訴人らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきである。したがって、これと同旨の原判決中控訴人らに関する部分は相当であって、本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官山本矩夫 裁判官谷口幸博 裁判官林泰民は、転補のため、署名捺印することができない。裁判長裁判官山本矩夫)
別紙<省略>